第31回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2023年2月~2023年3月
世界的危機の中で「生きることの意味」を考える
日本の公共放送支援プロジェクト
~ロシアによるウクライナ侵攻の中でその意義を考える~
2022年2月24日、ロシアは隣国ウクライナに軍事侵攻した。国際法を無視した暴挙に世界は驚愕した。この侵攻の背景には、ロシアを20年余りにわたって事実上支配してきたプーチン大統領による軍隊など国家権力を背景とした強権政治がある。1930年代を思い起こせばわかるように、強権政治は戦争や暴力と密接な関係がある。
ロシアのプーチン大統領は、現代の強権的指導者のモデルであり、中国の習近平国家主席やインドのモディ首相らの台頭は、世界政治を根本的に変えている。世界最大の民主主義国家アメリカでも、強権的手法をとったトランプ前大統領への支持と共感は依然根強く、社会を二分して揺さぶっている。揺るぎない優位と見られていた「民主主義」と、言論の自由や司法の独立など「リベラルな価値観」は今、世界的規模の激しい攻撃に晒されている。
強権的指導者の政治手法には、個人崇拝、法の支配の軽視、ポピュリズム、そして恐怖とナショナリズムで政治を動かすなどの共通の特徴があると指摘されるが、放送や新聞など既存のメディアに対する攻撃や不寛容さも見逃せない。
ウクライナでは、公共放送PBC(Public Broadcasting Company of Ukraine) がロシア軍の標的にされた。2022年3月1日、首都キーウにあるテレビ塔がミサイル攻撃を受け、少なくとも5人が死亡した。このテレビ塔は、PBCと民放の地上波を送信していたが、停波に追い込まれた。
これに先立ってロシア国営のタス通信は、ロシア国防省が「キーウにある情報作戦の拠点などを攻撃する」として周辺住民に避難を呼び掛けていると伝えており、PBCなどウクライナ側が戦況や被害の状況を積極的に発信する中、放送のネットワークを遮断する狙いがあったと見られる。
そのPBCは2017年1月、キーウの国営放送局の傘下に、全国20余りの地方放送局が入る形でスタートした。現地では、ウクライナ語で「公共」の意味のSuspilne(ススピーリネ)とも呼ばれる。職員は全国に凡そ4200人で、テレビは2チャンネル、ラジオは3チャンネルを持つ。
ロシアの侵攻直後は、危険と見られたキーウの本部を西部地域に移して対応していたが、その後、キーウに戻って体制を組み直し、日々刻々と変わる被害の状況などを国内外に発信し続けている。侵攻直前までの5年間にわたり、公共放送PBCの組織改革や人材育成を日本が支援してきたことは余り知られていない。
ウクライナは、ポロシェンコ(Petro Poroshenko)前政権時代からEU(欧州連合)加盟の方針を掲げていたが、EU側からは、メディア改革を含む民主化の進展が求められていた。国営放送の公共放送への転換は、その重要な柱の一つと見られていた。2014年のロシアによるクリミア併合をきっかけに、G7を中心とする国際社会のウクライナ支援の機運が高まった。外務省所管の独立行政法人JICA(国際協力機構)は、ウクライナ側の要請を受けて、PBCの改革をサポートする方針を決定し、私の所属する一般財団法人NHKインターナショナルが支援プロジェクトを担当した。NHKインターナショナルはNHKの関連団体で、諸外国の公共放送作りのための支援やNHK番組の提供など「国際協力事業」を行っている。
NHKのOBを中心にNHKインターナショナルの職員5人でチームを編成し、私は責任者として、2017年からの5年間で合計12回ウクライナを訪問した。プロジェクトは、「災害など緊急時の報道を実施する体制の構築」と「公共放送に相応しい教育・福祉番組の制作」、それに「放送機材の維持・管理能力の向上」の3分野で実施した。
このうち緊急報道は、国民の生命財産に直結するだけに、公共放送の要と言える。これを支える「組織作り」と公共放送に相応しい「意識改革」が求められていた。最初に取り掛かったのは、全国ネットワークの構築だった。
ウクライナの国営放送局は、旧ソ連時代から“独立志向”が強く、統率のないバラバラの状態だった。PBCは、NHKの組織を参考に、本部の報道局長の指揮下に全地方支局(前身は国営の地方放送局)のニュース部門を置くという改革を断行したが、紙の上で組織を変えただけでは、生きた情報が流れる真のネットワークは生まれない。
私は、キーウ本部の指揮下に置かれた20余りの地方支局の報道責任者に注目した。30代を中心とした若い世代で、報道経験が少なく、キーウから離れているため孤立しているように見えた。このため私は、本部と全支局の報道責任者が参加する対面やオンライン形式のワークショップを企画し、実施した。とにかく話し合い、情報を交換し、お互いを知り、絆を深めること。これに尽きる。5回のワークショップを通じて、本部と地方支局の一体感、連帯感は確実に強まったと感じる。
ただ当初は、「取材先が会ってくれない」「何も話してくれない」など、泣き言ばかりだった。彼らは、国営放送の時代には、自ら情報を取りに行くという経験が殆ど無く、情報は上から一方的に下りて来るものだった。
私は、公共放送は国営放送とは全く違うと伝え、自ら考えて動く、情報は足で稼ぐべきだとアドバイスした。取材先と飲食を共にしながら、とにかく気楽に話せる関係を作ろう。情報を取るのはそのあとで構わないと、何度も激励した。その後、ワークショップが開かれる度に、「取材先に友人ができた」「良いネタ元を開拓した」など、明るい声が寄せられるようになった。若いジャーナリストたちのプライドと熱意が、自らを着実に成長させていったように思う。今も戦火に身を晒しながら、各地で懸命に取材を続ける彼らの顔が目に浮かぶ。
このように現場職員の意識は徐々に変わっていったが、私は、公共放送の行方を左右する幹部の意識が特に重要と考えていた。訪問の度に、PBCの会長(Head of managing board)や理事(Member of managing board)、それに報道局長(Head of news department)らと対話を重ねた。テーマは「公共放送とは何か」。
国営放送は、政府の強い管理下に置かれ、民間放送は、営利を目的としている。これに対し公共放送は、営利を目的とせず、政府の統制からも自立し、自由と民主主義を守り、公共の福祉のために行われている。従って公共放送は、政府から常に一定の距離を保つこと、具体的には、「編集権の独立」が肝要だと伝えてきた。それを担保するのは「財源の独立」だ。
PBCの収入は、政府からの交付金と広告収入からなり、このうち政府交付金は、全体の95%程度を占める。政府交付金として、国家予算の0.2%を振り向けることが法律に明記されているが、2017年の公共放送スタート以来、一度も満額支払われたことがない。それでもウクライナの現状では、いずれも公共放送のNHKやBBCのような受信料制度が国民に受け入れられるのは極めて困難と見られ、当面は政府交付金に頼らざるを得ない。
こうした中、政府とPBCの間で緊張が高まったのが、2019年1月に起きたズラブ・アラサニア(Zurabi Alasaniia)前会長の解任劇だ。当時のポロシェンコ大統領に近いとされるPBC経営委員会(会長の任命権を持つ)メンバーが中心になって緊急動議を提出し、解任した。
アラサニア前会長は、民放のジャーナリスト出身で、政府とは一定の距離を置く報道姿勢をとっていた。彼の周辺によると、前会長は、政府から取材をするよう頼まれた案件を幾度か断っていたということで、職員の間では、「ぶれないリーダー」と支持する声が多かった。前会長なくして今のPBCはないと言われる。彼は解任後、私に対して、「今回の解任決定は受け入れられない。法廷で徹底的に争う。必ず勝つ」と語っていた。その後、裁判で解任決定は違法とされ、半年後の7月に会長に復帰した。
この解任劇は、前会長の対応に政府側が苛立ちを募らせていたことを窺わせるもので、強い決意をもって政府と一定の距離を保つという公共放送トップの在り方を内外に強く印象付ける結果となった。
アラサニア前会長は2021年4月、自らの後継者として地域改革担当の理事、ミコラ・チェルノツィツキー(Mykola Chernotytskyi)氏(当時38歳)を抜擢した。私はそれまでウクライナ訪問の度に、チェルノツィツキー氏と公共放送の役割や組織作りについて意見交換していた。
彼は、政府と一定の距離を置こうという「前会長路線の継承」を明確に打ち出した。2021年秋、ウクライナ政府がPBCへの介入の度を強めることを狙って、経営委員会のメンバー構成を変えようと動いた際には、日本を含むG7各国のウクライナ駐在大使と相次いで面会し、政府に思い留まるよう外交的な働き掛けを要請した。
こうしたPBCトップの毅然とした姿勢もあって、この5年間で視聴者の受け止め方は大きく変化した。当初は、政府や地方自治体の情報をそのまま受け取って伝えるだけの“広告塔”と受け止められ、平均視聴率も1%前後と低迷していたが、EUと欧州評議会などが2020年11月から12月にかけて実施した世論調査によると、PBCを時々視聴すると答えた人は34.2%で、ウクライナのテレビ局のうち7番目。一方、信頼度は35.2%で、全体の4番目だった。
ウクライナには財閥系の4つのメディアグループがあり、これまで放送界を支配してきたが、上記の世論調査によると、PBCはこれとは異なり、偏りのないバランスの取れた放送をするメディアとして、国民に受け入れられつつある。
政府と距離を取ろうともがいてきた公共放送PBC。ロシアとの戦時下にある今は、共通の敵を前に、その“距離”が曖昧にならざるを得ないかも知れない。
戦火の放送局を率いるチェルノツィツキー会長は、NHKとのインタビューで、「戦時下の放送は特有の軍事的な制限を受けるが、これが政治的制限に変化しないことが重要だ。私たちは今出来ることはやっているが、振り返って、ジャーナリストとして正しかったのか、問題があれば、それをどう改善出来るのかを考えることは、このあと待っている大事な責務だと思う」と語り、戦争終結後に放送内容を検証する考えを示した。
ウクライナの他にもNHKインターナショナルは、JICAからの委託を受けて、旧ユーゴスラビアのコソボやアフリカの南スーダンでも、国営放送から公共放送への転換を支援している。
このうちコソボでは、旧ユーゴスラビアの崩壊に伴って民族対立に拍車がかかる中、1999年にNATO(北大西洋条約機構)軍が介入するなど、国際問題として注目を集めた。2008年の独立宣言後も、多数派のアルバニア系と少数派のセルビア系の対立解消が課題となっていた。2015年から始まった支援プロジェクトを通じて、アルバニア語放送とセルビア語放送による番組の共同制作が初めて実現、放送されるなど、民族和解に向けて一定の進展が見られた。
また、南スーダンは2011年、20年にわたる内戦を経て、アフリカ54番目の国家としてスーダンから分離独立したが、マスメディアを含め国家運営のための十分な制度が確立していなかった。このため、NHKの報道や番組制作の指針を参考に、民主主義国家を支える健全な市民社会の形成に向けて、正確で公正な報道に加え、多民族や多文化に配慮した番組作りが実施出来るよう研修を進めている。
一方、プロジェクトが2022年3月に一旦終了したウクライナについてもJICAは、ロシアとの戦争が終息に向かえば、追加的な支援を実施する計画だ。PBCは、今回のような軍事侵攻によって、キーウ本部が機能不全に陥った際は、ポーランド国境に近い西部のリビウ支局にその機能を移して放送を続けることにしており、JICAはそれに関連した放送機材の整備や人材の育成をサポートすることを検討している。NHKインターナショナルとしても、NHKが東京本部のバックアップセンターとして、日本の“第2の都市”とされる大阪にある「大阪放送局」の整備を進めていることも参考にしながら、PBCの取り組みを引き続き支援していきたい。
PBCのような公共放送は、世界にどれくらいあるのだろうか。1990年にNHKなどが中心になって創設した公共放送の国際組織、Public Broadcasters International(PBI)によると、イギリスBBCや韓国KBSなど80以上の公共放送が正式メンバーで、原則として毎年、持ち回りで年次大会を開き、公共放送が直面する様々な課題を巡って意見交換している。
近年、公共放送を取り巻くメディア環境や視聴者行動が大きく変化しており、情報を得る手段として、インターネットを活用したソーシャルメディアが、伝統的な放送や新聞と並んで、その存在感を高めている。こうしたメディアの幅広い世代への浸透が、結果として、強権政治への動きを加速させている面も否めない。アメリカのトランプ前大統領は、ツイッターを使って、有権者との直接的なコミュニケーションを確立、放送や新聞など既存のメディアを「フェイクニュース」と切り捨て、迂回することに成功した。
権力から一定の距離を保つ公共放送は、正確で公平、公正な情報を発信すると共に、社会の対立する問題を巡って多様な意見を伝える使命がある。ネットを通じて不確かで曖昧な情報が拡散する中、市民が政策や情報を判断する際の“拠り所”となるなど、新たな役割を期待する声もある。
NHKは、公共放送からネットなど通信も含めた「公共メディア」への脱皮を急いでいるが、その一方で、ニュース判断における忖度の問題や権力に対する監視機能が低下しているのではないかといった厳しい批判もある。NHKとしては、今一度、公共放送の原点に立ち返って“足腰”を鍛え直しながら、世界各国の公共放送と連携して、台頭する強権政治に立ち向かうことが出来るのか、その真価が問われている。(2022年10月31日執筆)
ロシアのプーチン大統領は、現代の強権的指導者のモデルであり、中国の習近平国家主席やインドのモディ首相らの台頭は、世界政治を根本的に変えている。世界最大の民主主義国家アメリカでも、強権的手法をとったトランプ前大統領への支持と共感は依然根強く、社会を二分して揺さぶっている。揺るぎない優位と見られていた「民主主義」と、言論の自由や司法の独立など「リベラルな価値観」は今、世界的規模の激しい攻撃に晒されている。
強権的指導者の政治手法には、個人崇拝、法の支配の軽視、ポピュリズム、そして恐怖とナショナリズムで政治を動かすなどの共通の特徴があると指摘されるが、放送や新聞など既存のメディアに対する攻撃や不寛容さも見逃せない。
ウクライナでは、公共放送PBC(Public Broadcasting Company of Ukraine) がロシア軍の標的にされた。2022年3月1日、首都キーウにあるテレビ塔がミサイル攻撃を受け、少なくとも5人が死亡した。このテレビ塔は、PBCと民放の地上波を送信していたが、停波に追い込まれた。
これに先立ってロシア国営のタス通信は、ロシア国防省が「キーウにある情報作戦の拠点などを攻撃する」として周辺住民に避難を呼び掛けていると伝えており、PBCなどウクライナ側が戦況や被害の状況を積極的に発信する中、放送のネットワークを遮断する狙いがあったと見られる。
そのPBCは2017年1月、キーウの国営放送局の傘下に、全国20余りの地方放送局が入る形でスタートした。現地では、ウクライナ語で「公共」の意味のSuspilne(ススピーリネ)とも呼ばれる。職員は全国に凡そ4200人で、テレビは2チャンネル、ラジオは3チャンネルを持つ。
ロシアの侵攻直後は、危険と見られたキーウの本部を西部地域に移して対応していたが、その後、キーウに戻って体制を組み直し、日々刻々と変わる被害の状況などを国内外に発信し続けている。侵攻直前までの5年間にわたり、公共放送PBCの組織改革や人材育成を日本が支援してきたことは余り知られていない。
ウクライナは、ポロシェンコ(Petro Poroshenko)前政権時代からEU(欧州連合)加盟の方針を掲げていたが、EU側からは、メディア改革を含む民主化の進展が求められていた。国営放送の公共放送への転換は、その重要な柱の一つと見られていた。2014年のロシアによるクリミア併合をきっかけに、G7を中心とする国際社会のウクライナ支援の機運が高まった。外務省所管の独立行政法人JICA(国際協力機構)は、ウクライナ側の要請を受けて、PBCの改革をサポートする方針を決定し、私の所属する一般財団法人NHKインターナショナルが支援プロジェクトを担当した。NHKインターナショナルはNHKの関連団体で、諸外国の公共放送作りのための支援やNHK番組の提供など「国際協力事業」を行っている。
NHKのOBを中心にNHKインターナショナルの職員5人でチームを編成し、私は責任者として、2017年からの5年間で合計12回ウクライナを訪問した。プロジェクトは、「災害など緊急時の報道を実施する体制の構築」と「公共放送に相応しい教育・福祉番組の制作」、それに「放送機材の維持・管理能力の向上」の3分野で実施した。
このうち緊急報道は、国民の生命財産に直結するだけに、公共放送の要と言える。これを支える「組織作り」と公共放送に相応しい「意識改革」が求められていた。最初に取り掛かったのは、全国ネットワークの構築だった。
ウクライナの国営放送局は、旧ソ連時代から“独立志向”が強く、統率のないバラバラの状態だった。PBCは、NHKの組織を参考に、本部の報道局長の指揮下に全地方支局(前身は国営の地方放送局)のニュース部門を置くという改革を断行したが、紙の上で組織を変えただけでは、生きた情報が流れる真のネットワークは生まれない。
私は、キーウ本部の指揮下に置かれた20余りの地方支局の報道責任者に注目した。30代を中心とした若い世代で、報道経験が少なく、キーウから離れているため孤立しているように見えた。このため私は、本部と全支局の報道責任者が参加する対面やオンライン形式のワークショップを企画し、実施した。とにかく話し合い、情報を交換し、お互いを知り、絆を深めること。これに尽きる。5回のワークショップを通じて、本部と地方支局の一体感、連帯感は確実に強まったと感じる。
ただ当初は、「取材先が会ってくれない」「何も話してくれない」など、泣き言ばかりだった。彼らは、国営放送の時代には、自ら情報を取りに行くという経験が殆ど無く、情報は上から一方的に下りて来るものだった。
私は、公共放送は国営放送とは全く違うと伝え、自ら考えて動く、情報は足で稼ぐべきだとアドバイスした。取材先と飲食を共にしながら、とにかく気楽に話せる関係を作ろう。情報を取るのはそのあとで構わないと、何度も激励した。その後、ワークショップが開かれる度に、「取材先に友人ができた」「良いネタ元を開拓した」など、明るい声が寄せられるようになった。若いジャーナリストたちのプライドと熱意が、自らを着実に成長させていったように思う。今も戦火に身を晒しながら、各地で懸命に取材を続ける彼らの顔が目に浮かぶ。
このように現場職員の意識は徐々に変わっていったが、私は、公共放送の行方を左右する幹部の意識が特に重要と考えていた。訪問の度に、PBCの会長(Head of managing board)や理事(Member of managing board)、それに報道局長(Head of news department)らと対話を重ねた。テーマは「公共放送とは何か」。
国営放送は、政府の強い管理下に置かれ、民間放送は、営利を目的としている。これに対し公共放送は、営利を目的とせず、政府の統制からも自立し、自由と民主主義を守り、公共の福祉のために行われている。従って公共放送は、政府から常に一定の距離を保つこと、具体的には、「編集権の独立」が肝要だと伝えてきた。それを担保するのは「財源の独立」だ。
PBCの収入は、政府からの交付金と広告収入からなり、このうち政府交付金は、全体の95%程度を占める。政府交付金として、国家予算の0.2%を振り向けることが法律に明記されているが、2017年の公共放送スタート以来、一度も満額支払われたことがない。それでもウクライナの現状では、いずれも公共放送のNHKやBBCのような受信料制度が国民に受け入れられるのは極めて困難と見られ、当面は政府交付金に頼らざるを得ない。
こうした中、政府とPBCの間で緊張が高まったのが、2019年1月に起きたズラブ・アラサニア(Zurabi Alasaniia)前会長の解任劇だ。当時のポロシェンコ大統領に近いとされるPBC経営委員会(会長の任命権を持つ)メンバーが中心になって緊急動議を提出し、解任した。
アラサニア前会長は、民放のジャーナリスト出身で、政府とは一定の距離を置く報道姿勢をとっていた。彼の周辺によると、前会長は、政府から取材をするよう頼まれた案件を幾度か断っていたということで、職員の間では、「ぶれないリーダー」と支持する声が多かった。前会長なくして今のPBCはないと言われる。彼は解任後、私に対して、「今回の解任決定は受け入れられない。法廷で徹底的に争う。必ず勝つ」と語っていた。その後、裁判で解任決定は違法とされ、半年後の7月に会長に復帰した。
この解任劇は、前会長の対応に政府側が苛立ちを募らせていたことを窺わせるもので、強い決意をもって政府と一定の距離を保つという公共放送トップの在り方を内外に強く印象付ける結果となった。
アラサニア前会長は2021年4月、自らの後継者として地域改革担当の理事、ミコラ・チェルノツィツキー(Mykola Chernotytskyi)氏(当時38歳)を抜擢した。私はそれまでウクライナ訪問の度に、チェルノツィツキー氏と公共放送の役割や組織作りについて意見交換していた。
彼は、政府と一定の距離を置こうという「前会長路線の継承」を明確に打ち出した。2021年秋、ウクライナ政府がPBCへの介入の度を強めることを狙って、経営委員会のメンバー構成を変えようと動いた際には、日本を含むG7各国のウクライナ駐在大使と相次いで面会し、政府に思い留まるよう外交的な働き掛けを要請した。
こうしたPBCトップの毅然とした姿勢もあって、この5年間で視聴者の受け止め方は大きく変化した。当初は、政府や地方自治体の情報をそのまま受け取って伝えるだけの“広告塔”と受け止められ、平均視聴率も1%前後と低迷していたが、EUと欧州評議会などが2020年11月から12月にかけて実施した世論調査によると、PBCを時々視聴すると答えた人は34.2%で、ウクライナのテレビ局のうち7番目。一方、信頼度は35.2%で、全体の4番目だった。
ウクライナには財閥系の4つのメディアグループがあり、これまで放送界を支配してきたが、上記の世論調査によると、PBCはこれとは異なり、偏りのないバランスの取れた放送をするメディアとして、国民に受け入れられつつある。
政府と距離を取ろうともがいてきた公共放送PBC。ロシアとの戦時下にある今は、共通の敵を前に、その“距離”が曖昧にならざるを得ないかも知れない。
戦火の放送局を率いるチェルノツィツキー会長は、NHKとのインタビューで、「戦時下の放送は特有の軍事的な制限を受けるが、これが政治的制限に変化しないことが重要だ。私たちは今出来ることはやっているが、振り返って、ジャーナリストとして正しかったのか、問題があれば、それをどう改善出来るのかを考えることは、このあと待っている大事な責務だと思う」と語り、戦争終結後に放送内容を検証する考えを示した。
ウクライナの他にもNHKインターナショナルは、JICAからの委託を受けて、旧ユーゴスラビアのコソボやアフリカの南スーダンでも、国営放送から公共放送への転換を支援している。
このうちコソボでは、旧ユーゴスラビアの崩壊に伴って民族対立に拍車がかかる中、1999年にNATO(北大西洋条約機構)軍が介入するなど、国際問題として注目を集めた。2008年の独立宣言後も、多数派のアルバニア系と少数派のセルビア系の対立解消が課題となっていた。2015年から始まった支援プロジェクトを通じて、アルバニア語放送とセルビア語放送による番組の共同制作が初めて実現、放送されるなど、民族和解に向けて一定の進展が見られた。
また、南スーダンは2011年、20年にわたる内戦を経て、アフリカ54番目の国家としてスーダンから分離独立したが、マスメディアを含め国家運営のための十分な制度が確立していなかった。このため、NHKの報道や番組制作の指針を参考に、民主主義国家を支える健全な市民社会の形成に向けて、正確で公正な報道に加え、多民族や多文化に配慮した番組作りが実施出来るよう研修を進めている。
一方、プロジェクトが2022年3月に一旦終了したウクライナについてもJICAは、ロシアとの戦争が終息に向かえば、追加的な支援を実施する計画だ。PBCは、今回のような軍事侵攻によって、キーウ本部が機能不全に陥った際は、ポーランド国境に近い西部のリビウ支局にその機能を移して放送を続けることにしており、JICAはそれに関連した放送機材の整備や人材の育成をサポートすることを検討している。NHKインターナショナルとしても、NHKが東京本部のバックアップセンターとして、日本の“第2の都市”とされる大阪にある「大阪放送局」の整備を進めていることも参考にしながら、PBCの取り組みを引き続き支援していきたい。
PBCのような公共放送は、世界にどれくらいあるのだろうか。1990年にNHKなどが中心になって創設した公共放送の国際組織、Public Broadcasters International(PBI)によると、イギリスBBCや韓国KBSなど80以上の公共放送が正式メンバーで、原則として毎年、持ち回りで年次大会を開き、公共放送が直面する様々な課題を巡って意見交換している。
近年、公共放送を取り巻くメディア環境や視聴者行動が大きく変化しており、情報を得る手段として、インターネットを活用したソーシャルメディアが、伝統的な放送や新聞と並んで、その存在感を高めている。こうしたメディアの幅広い世代への浸透が、結果として、強権政治への動きを加速させている面も否めない。アメリカのトランプ前大統領は、ツイッターを使って、有権者との直接的なコミュニケーションを確立、放送や新聞など既存のメディアを「フェイクニュース」と切り捨て、迂回することに成功した。
権力から一定の距離を保つ公共放送は、正確で公平、公正な情報を発信すると共に、社会の対立する問題を巡って多様な意見を伝える使命がある。ネットを通じて不確かで曖昧な情報が拡散する中、市民が政策や情報を判断する際の“拠り所”となるなど、新たな役割を期待する声もある。
NHKは、公共放送からネットなど通信も含めた「公共メディア」への脱皮を急いでいるが、その一方で、ニュース判断における忖度の問題や権力に対する監視機能が低下しているのではないかといった厳しい批判もある。NHKとしては、今一度、公共放送の原点に立ち返って“足腰”を鍛え直しながら、世界各国の公共放送と連携して、台頭する強権政治に立ち向かうことが出来るのか、その真価が問われている。(2022年10月31日執筆)
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ミコラ・チェルノツィツキ―PBC会長と筆者 |
宮尾 篤
NHKインターナショナル業務主幹(Controller,project)
1981年、記者としてNHK入局後、地方局を経て、政治部や国際部などで勤務。この間、ソウル特派員。その後、NHKインターナショナルへ。