第28回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2020年2月~2020年3月
発展途上国における教育コンテンツの役割と新たな可能性
多様性を尊重するパレスチナの教育と映像メディア
1. パレスチナの教育と映像メディアの活用
本稿では、1994年に設立したパレスチナ自治政府が行政をおこなうパレスチナ自治区(以下、パレスチナ)において、パレスチナがめざす児童生徒の多様性が尊重される教育の実現のため、映像メディアがどのように活用され、または、されうるのかについて、その特徴と展望を考察する。
パレスチナは紛争影響地域としての政治的特殊性・脆弱性を抱えているため、学校教育は複雑で困難の状況にある。2000年のインティファーダ以降、イスラエルの占領政策が強化され、分離壁や検問所による人や物の移動制限や、パレスチナでのイスラエル兵による武力攻撃や抑圧が日常的に生じており、パレスチナ人は経済的・精神的に困窮し、常に緊張状態の中に生きている。
パレスチナは対処すべき多くの課題を抱えているが、特に人的資源開発に重点的に取り組んでおり、2017年の初等教育の総就学率は94%に達している(日本ユニセフ協会 2017)。一方で、2018年のUNICEFの調査によると、パレスチナでは15歳までに男子の約25%、女子の約7%が学校を中退している現状がある。学校を中退する主な理由として、教育の質の問題、実生活に適していないと思われがちな教育内容、校内での教師や生徒同士による身体的・精神的暴力、そして武力紛争が挙げられている。
武力紛争は、パレスチナ特有の教育の困難を生み出している。西岸では通学時に多くの子どもが検問所や道路が閉鎖された場所を通り、イスラエル入植地を迂回する必要がある。時には学校に向かう途中で止められ尋問を受けることもある。ガザでは、2013年の情報では学齢期の児童生徒が130万以上いるが、学校数は645校のみで、全体の49.1%の二部制の学校に通っている(西岸では、0.3%が二部制)。教育施設と学級数が不足しており、一般建物を借り上げるなどして対応しているが、カリキュラムに応じた実験室などの設備や教育機材の設備は十分にない(独立行政法人国際協力機構人間開発部2015)。パレスチナでは児童生徒の学校へのアクセスや学習時間が十分に確保されていない状況下であるがゆえに、児童生徒は授業についていけなくなったり、学習意欲が低下したり、特には不安や恐怖が抑えきれず暴力的になるなどの問題が生じている。UNICEF(2018)は、授業についていけなくなった生徒は中退する傾向が高いため、パレスチナの児童生徒が安全な学習環境で質の高い教育を受けることができるようにすることを求めている。
パレスチナは、2014年に「Palestine 2020: A Learning Nation: Summary of Educational development strategic plan EDSP 2014-2019(パレスチナ2020:学習する国家:教育開発戦略計画2014-2019)」を発刊し、教育の質についての方針・戦略および優先課題を示している。そこで「生徒中心型の教育及び環境をつくる」ために、具体的な項目として10の視点をあげ、そこで「生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する。これを実現するため、カリキュラム開発、教育の資格付与、学習に必要な適切なリソースの提供等、必要な手段を講じる」と示している(独立行政法人国際協力機構2015)。
教育における多様性への関心はパレスチナに限らずグローバルな動きである(Matthew & Schuelka et al 2017)。多様性とは多面的な概念であり、経済協力開発機構によると、発達の可能性を広げ、学習を促進するものであり、文化的、言語的、民族的、宗教的、そして社会的、経済的な相違を含むものと定義されている(OECD教育研究革新センター 2014)。多様性は変化や発達のきっかけを生み出すため(岸2019)、積極的に活かしていこうという動きがある。パレスチナの教師も、児童生徒の個性や強み、関心、経験など、多様性が尊重され、それらを発揮できる教育を展開しようとしている。
児童生徒の多様性を尊重した授業づくりにおいて、パレスチナの教師が何より重視しているのは、授業への参画である。筆者は独立行政法人国際協力機構(以下、JICA)の教育案件である「パレスチナ理数科教育の質改善プロジェクト」に関わり、その一環としてパレスチナ(ラマッラ、ヘブロン、ガザ、ナブロス)の学校で撮影された20の理数科の授業を分析し、パレスチナの教育の特徴と課題を整理した。その結果、パレスチナの教師は、児童生徒の誰もが学習に参画できるようにロールプレイやゲーム式の活動、実験を導入したり、みんなの前で自分の考えを発表する機会を設けたり、彼らの授業へのあらゆる貢献に対して拍手で賞賛するなどして児童生徒の多様性を尊重した授業展開をしていた。
また、児童生徒の知識や経験に多様性があるがゆえに、映像メディアも積極的に活用されていた。パレスチナのように児童生徒の直接的な経験や学習リソースの不足、移動の制限、学習時間の不足などの課題を抱える地域において映像メディアは重要な役割を担う。パレスチナ教育・高等教育省(2015)は「アクティブラーニングのための授業デザインガイドブック:情報通信技術の活用」を発行し、映像メディアの具体的な活用方法や利用できるコンテンツを紹介し、活用を促進している。
本稿では、児童生徒の多様性を尊重する教育を実現するために映像メディア活用の観点から考察する。まず、パレスチナの教育における映像メディアの活用の特徴を明らかにし、次に児童生徒の個性や強み、関心、経験など多様性が尊重、発揮される教育を実現するための映像メディア活用の展望を考察する。
2. パレスチナの教育における映像メディア活用の特徴
本稿では、パレスチナにおける映像メディアを活用した児童生徒の多様性を尊重した授業づくりの特徴について、JICAの「パレスチナ理数科教育の質改善プロジェクトの」一環として実施した次の2つの調査の結果をもとに考察する。ひとつは、パレスチナ北部(ナブロス)・中部(ラマッラ)・南部(ヘブロン)、ガザの学校で撮影した20本の授業映像の分析である。もうひとつは、2019年4月27日-5月4日、2019年9月8日-19日間(現地滞在16日間)に現地で実施した授業視察および教師へのインタビュー調査である。現地では2019年5月には3校、2019年9月には11校の学校を訪問し、合計25の授業を観察し、映像メディア活用についてインタビューを行った。
分析の結果、パレスチナの教師は、映像メディアを(1)間接経験の提供、(2)教師の身体の拡張、(3)SNSを活用した授業外活動、(4)拡大提示による共同注視、(5)創造な対話的実践、として利用していることがわかった。以下にそれぞれについて詳述する。なお、文中の「太字」は教師のインタビューでの言葉の引用であるが、アラビア語から日本語に翻訳している。
紛争影響地としてのパレスチナでは、児童生徒の直接的な経験や学習リソースの不足、移動の制限、学習時間の不足から、児童生徒の学力や学習意欲に差が生じ、それが課題となっている。教師は多様な児童生徒への対応として、映像メディアを(1)間接経験の提供、(2)教師の身体の拡張、(3)SNSを活用した授業外活動、(4)拡大提示による共同注視、(5)創造的な対話的実践のために活用していた。
今後、パレスチナがめざす「生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する」教育は、教育環境の多様化により一層進んでいくだろう。パレスチナでは教室環境の整備が少しずつされている(写真5)。グループ学習がしやすい教室の什器・備品のレイアウト、情報通信技術(Information and Communication Technology)の導入が少しずつ始まっている。いずれ教師と教科書だけが学習の情報源でなくなり、多様なリソースを活用、選択できるようになるだろう。
映像メディアを活用して児童生徒の多様性が尊重、発揮される教育を一歩前に進めるために、本稿では、授業形態の多様化、および、多様性の活用の2つの観点から今後の展望を考察する。
本稿では、映像メディアの活用の観点から、生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重するパレスチナの教育の特徴を明らかにし、展望を考察した。パレスチナは、紛争影響地域としての政治的特殊性・脆弱性があるだけではなく、他国と同様にグローバル化、格差の拡大、子どもの貧困問題、目まぐるしく変化する教育をめぐる状況に直面している。パレスチナの生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する教育は、自ら考え、学び続け、新しいものを生み出す人材の育成につながっていくだろう。児童生徒が多様な考えに触れながら、話し合い、共通の理解を生み出すプロセスは、学び続け、生み出す力を培う上で不可欠なプロセスである。パレスチナではそのための教育環境が整いつつり、今後も発展的に生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する教育が展開されることが期待される。
多様性を尊重する教育を促進するためには、教師の専門的力量形成および評価についての議論も必要である。児童生徒の多様性を尊重する教育では、「実際の展開過程において、子供の願いや求めとの間に必然的なズレを生じされる。このとき教師がどれだけ子どもの側に立って、自らの案を柔軟に修正できるかが鍵となる(小林2004)」ため、教師が目の前にいる児童生徒の才能や可能性を見出しながら、それらを即興的につなぎ、授業を展開できるようになることが求められる(ロブマン・ルンドクゥイスト 2016)。また、本来、暗記中心の評価ではなく、児童生徒の多様なパフォーマンスを評価する方法を開発することも必要である。今後も継続してパレスチナの教師らとともにこれらの研究課題に取り組んでいきたい。
参考文献
本稿では、1994年に設立したパレスチナ自治政府が行政をおこなうパレスチナ自治区(以下、パレスチナ)において、パレスチナがめざす児童生徒の多様性が尊重される教育の実現のため、映像メディアがどのように活用され、または、されうるのかについて、その特徴と展望を考察する。
パレスチナは紛争影響地域としての政治的特殊性・脆弱性を抱えているため、学校教育は複雑で困難の状況にある。2000年のインティファーダ以降、イスラエルの占領政策が強化され、分離壁や検問所による人や物の移動制限や、パレスチナでのイスラエル兵による武力攻撃や抑圧が日常的に生じており、パレスチナ人は経済的・精神的に困窮し、常に緊張状態の中に生きている。
パレスチナは対処すべき多くの課題を抱えているが、特に人的資源開発に重点的に取り組んでおり、2017年の初等教育の総就学率は94%に達している(日本ユニセフ協会 2017)。一方で、2018年のUNICEFの調査によると、パレスチナでは15歳までに男子の約25%、女子の約7%が学校を中退している現状がある。学校を中退する主な理由として、教育の質の問題、実生活に適していないと思われがちな教育内容、校内での教師や生徒同士による身体的・精神的暴力、そして武力紛争が挙げられている。
武力紛争は、パレスチナ特有の教育の困難を生み出している。西岸では通学時に多くの子どもが検問所や道路が閉鎖された場所を通り、イスラエル入植地を迂回する必要がある。時には学校に向かう途中で止められ尋問を受けることもある。ガザでは、2013年の情報では学齢期の児童生徒が130万以上いるが、学校数は645校のみで、全体の49.1%の二部制の学校に通っている(西岸では、0.3%が二部制)。教育施設と学級数が不足しており、一般建物を借り上げるなどして対応しているが、カリキュラムに応じた実験室などの設備や教育機材の設備は十分にない(独立行政法人国際協力機構人間開発部2015)。パレスチナでは児童生徒の学校へのアクセスや学習時間が十分に確保されていない状況下であるがゆえに、児童生徒は授業についていけなくなったり、学習意欲が低下したり、特には不安や恐怖が抑えきれず暴力的になるなどの問題が生じている。UNICEF(2018)は、授業についていけなくなった生徒は中退する傾向が高いため、パレスチナの児童生徒が安全な学習環境で質の高い教育を受けることができるようにすることを求めている。
パレスチナは、2014年に「Palestine 2020: A Learning Nation: Summary of Educational development strategic plan EDSP 2014-2019(パレスチナ2020:学習する国家:教育開発戦略計画2014-2019)」を発刊し、教育の質についての方針・戦略および優先課題を示している。そこで「生徒中心型の教育及び環境をつくる」ために、具体的な項目として10の視点をあげ、そこで「生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する。これを実現するため、カリキュラム開発、教育の資格付与、学習に必要な適切なリソースの提供等、必要な手段を講じる」と示している(独立行政法人国際協力機構2015)。
教育における多様性への関心はパレスチナに限らずグローバルな動きである(Matthew & Schuelka et al 2017)。多様性とは多面的な概念であり、経済協力開発機構によると、発達の可能性を広げ、学習を促進するものであり、文化的、言語的、民族的、宗教的、そして社会的、経済的な相違を含むものと定義されている(OECD教育研究革新センター 2014)。多様性は変化や発達のきっかけを生み出すため(岸2019)、積極的に活かしていこうという動きがある。パレスチナの教師も、児童生徒の個性や強み、関心、経験など、多様性が尊重され、それらを発揮できる教育を展開しようとしている。
児童生徒の多様性を尊重した授業づくりにおいて、パレスチナの教師が何より重視しているのは、授業への参画である。筆者は独立行政法人国際協力機構(以下、JICA)の教育案件である「パレスチナ理数科教育の質改善プロジェクト」に関わり、その一環としてパレスチナ(ラマッラ、ヘブロン、ガザ、ナブロス)の学校で撮影された20の理数科の授業を分析し、パレスチナの教育の特徴と課題を整理した。その結果、パレスチナの教師は、児童生徒の誰もが学習に参画できるようにロールプレイやゲーム式の活動、実験を導入したり、みんなの前で自分の考えを発表する機会を設けたり、彼らの授業へのあらゆる貢献に対して拍手で賞賛するなどして児童生徒の多様性を尊重した授業展開をしていた。
また、児童生徒の知識や経験に多様性があるがゆえに、映像メディアも積極的に活用されていた。パレスチナのように児童生徒の直接的な経験や学習リソースの不足、移動の制限、学習時間の不足などの課題を抱える地域において映像メディアは重要な役割を担う。パレスチナ教育・高等教育省(2015)は「アクティブラーニングのための授業デザインガイドブック:情報通信技術の活用」を発行し、映像メディアの具体的な活用方法や利用できるコンテンツを紹介し、活用を促進している。
本稿では、児童生徒の多様性を尊重する教育を実現するために映像メディア活用の観点から考察する。まず、パレスチナの教育における映像メディアの活用の特徴を明らかにし、次に児童生徒の個性や強み、関心、経験など多様性が尊重、発揮される教育を実現するための映像メディア活用の展望を考察する。
2. パレスチナの教育における映像メディア活用の特徴
本稿では、パレスチナにおける映像メディアを活用した児童生徒の多様性を尊重した授業づくりの特徴について、JICAの「パレスチナ理数科教育の質改善プロジェクトの」一環として実施した次の2つの調査の結果をもとに考察する。ひとつは、パレスチナ北部(ナブロス)・中部(ラマッラ)・南部(ヘブロン)、ガザの学校で撮影した20本の授業映像の分析である。もうひとつは、2019年4月27日-5月4日、2019年9月8日-19日間(現地滞在16日間)に現地で実施した授業視察および教師へのインタビュー調査である。現地では2019年5月には3校、2019年9月には11校の学校を訪問し、合計25の授業を観察し、映像メディア活用についてインタビューを行った。
分析の結果、パレスチナの教師は、映像メディアを(1)間接経験の提供、(2)教師の身体の拡張、(3)SNSを活用した授業外活動、(4)拡大提示による共同注視、(5)創造な対話的実践、として利用していることがわかった。以下にそれぞれについて詳述する。なお、文中の「太字」は教師のインタビューでの言葉の引用であるが、アラビア語から日本語に翻訳している。
- 2.1.間接経験の提供
映像メディアを含む視聴覚メディアは、間接経験を提供するものとして利用されてきた。間接経験とは、映像などを通して対象を間接的に経験(代理経験)することである。パレスチナの児童生徒は、政治的・経済的な理由から移動が制限されるため、対象を直接見たり、触ったりする経験が十分にない。児童生徒が経験を一般化・概念化できるようになること(概念形成)は教育の重要な目的である(デール1950、水越1979)。しかし、経験の裏付けが欠ける場合、概念形成は困難になる。
パレスチナの教師は、児童生徒が教科の内容を理解する上で具体的な経験が足りていないという問題意識を持っており、インタビューの中で「私たちは海を見ることができなくても、映像を使って海を持ち込むことができる。雪を見たことがなくても、映像を通して知ることができる」と述べ、映像メディアを使って間接的に経験を提供しようとしていた。
たとえば、フランス語の授業の一場面(写真1左)で、生徒はスノーボード、カヤック、サイクリング、乗馬、ソリというフランス語の単語をイラストを通して学ぶが、それらを実際に経験したことがない。教師は「語学の授業は、言語を通してその国の文化や価値、習慣などを学ぶのですが、言語とイメージが結びつかないと、生徒は単語をただ暗記するだけになってしまう。今日はイラストを利用しましたが、できるだけ映像メディアを利用したい」と述べていた。
写真1右の理科の授業でも同様である。教師は教科書の写真や板書に図示したイラストで説明するが、児童生徒が 概念を具体的にイメージすることは難しいため、映像を使って大きさ、色、動き、変化、構造を最初に見せていた。
間接経験の道具として映像メディアを活用することは、直接的な経験や知識に差への配慮の点から有用であるといえる。
写真1:概念説明におけるメディアの活用
- 2.2.教師の身体の拡張
パレスチナの教育には、現行のカリキュラムが示す学習範囲・分量が多く、指導内容を終えるための時間が足りていない課題がある。パレスチナは、2016年に日本の支援を受けて「パレスチナ日本初等理数科カリキュラム・教科書改訂協力プロジェクト」を実施し、理数科カリキュラム・教科書の改訂を行った。JICA(2018)は、この取り組みについて「教育は明るい未来をひらく:パレスチナで20年ぶりの教科書改訂を支援」についてインターネット上で記事を出しており、「情報が過度に詰め込まれ、子どもたちの学びにとって負担が大きかったこれまでの教科書が、実験などの活動を交えながら、わかりやすく自ら学ぼうとする意欲が高まるような形に生まれ変わりました」と報告している。実験や活動は児童生徒の学習意欲を刺激し、理解を深める上で有用であるが、その準備と実施に時間がかかるため、授業時間枠内に指導内容を終えることができないという本質的な課題解決には繋がっていない(授業観察記録より)。
そのような状況の中、パレスチナの教師は映像メディアを活用してこの課題解決を行なっていた。教師は実験や活動の進め方などの説明部分で映像を使い、児童生徒が視聴している間に実験の準備を進めるなど工夫をしていた。写真2の理科の授業では、教師は生徒に実験の映像を見せている間に実験の重要なポイントとプロセスを板書した。この授業の担当教師は、「生徒に映像を見せている間の時間を使って、実験のポイントとプロセスを板書するようにした。実験のポイントとプロセスを書いておけば、生徒が実験をする時に参照できる」と述べていた。つまり、映像メディアに説明部分を担わせることで、教師は余白の時間を作り、実験の準備をしたり、生徒のノートの確認をしたりしていた。
このような映像メディアの使い方を教師の身体の拡張として捉えることができる。メディアを人間の身体の拡張として捉えたのは、マクルーハン(1987)である。マクルーハンが車輪を足の拡張、衣服を皮膚の拡張、自動車を全身の拡張であると例に出すように、映像メディアは教師の教える行為の拡張といえる。教師は映像メディアで教える行為を拡張し、多様な児童生徒の実態にあった指導、支援を可能としていた。
写真2:理科の実験における映像メディアと板書の活用
- 2.3.SNSを活用した授業外活動
ソーシャルネットワーサービス(以下、SNS)を使った映像メディア活用の事例もある。ラマッラ郊外の男子校の理科の教師は生徒とのオンライングループを作り、実験の説明に関する映像を事前にアップロードして、生徒に事前に視聴させている。この教師は「全員がパソコンやスマフォを持っているわけではないが、保護者の協力を得てやっている。授業の説明だけではついていけない生徒がいるので、事前に映像を見せる。生徒は理解できるまで何度も見ることができるので授業に参加しやすくなる」と述べていた。反転授業に近い授業形態であるが、主な目的は、授業での説明についていけない児童生徒への補助教材として映像メディアを利用している。
映像メディアをSNSにアップロードして事前に児童生徒に予習させる授業を実際に行なっていたのは、上記の1事例のみであったが、児童生徒の学力や理解の進度の差を解決する方法としてパレスチナの教師は高い関心を示していた。しかし教科書に合った映像メディアが少ないため、それを実現するのはなかなか難しいのが現状である。
パレスチナの学校で活用される映像メディアの入手先は主に3つである。ひとつは教育省が配布したもの、2つめはインターネット上からダウンロードしたもの、3つめは教師自らが制作するものである。教育省が配布するものはDVD形式で配布されるため再生プレイヤーがない学校では活用ができない。インターネットから入手できる映像の種類は多いがパレスチナの文化や価値観、教科書に必ずしも合致していない。そこで、地域や保護者、生徒の協力を得て、教師が自作で映像メディアを制作することもある。
学力や理解の進度が多様である児童生徒にとって、映像メディアはそれぞれのペースで学習を進める上で有用であるが、利用できる映像メディアの少なさが課題となっている。
- 2.4. 拡大提示による共同注視
児童生徒の学力や理解の進度、学習意欲の差への対応は、パレスチナの教育が解決すべき重要な課題である。一人の教師が多様な児童生徒に対して同じ内容を、同じ方法で、同じペースで教えることは非常に困難である。40分の授業時間に児童生徒の注意を引くために、教師は様々な指導法をも用いている。そのひとつが、児童生徒の視線を前に誘導する共同注視である。たとえば、写真3左に示すように、教師は、プロジェクターで教科書の内容を拡大提示し、生徒の視線を前に誘導している。そして、生徒が全員、同じ部分を見て、同じスピードで考え、理解できるように説明をしていた。児童生徒は授業で一度つまずくと、すぐにやる気を失うため(授業観察より)、教師は、全員が授業についていけているかを確認しながら授業を進めていた。写真3右でも、8年生の理科の授業で、教師はプロジェクターで爬虫類に関する映像を白板に映し出し生徒に見せ、生徒の視線を前に誘導し、板書をしながら説明していた。
できるだけ多くの児童生徒がわかりやすく授業についていける授業づくりをユニバーサルデザインという。ユニバーサルデザインでは、できるだけ多くの児童生徒が授業についていけるように「みんなで同じことを、みんなで同じように」進める。しかし、みんなと同じようにできない児童生徒は、そこからはみ出てしまうという点に注意が必要である。授業で大切なことは「わかる」ことであり「みんなと同じように学ぶ」ことではないが、多様な生徒たちの理解を配慮した指導の工夫であると言える。
写真3:拡大提示による共同注視
- 2.5. 創造性的な対話的実践
児童生徒が知識を対話的に生み出していけるように映像メディアが活用されていた。事例として、写真4に示す英語の授業を見てみよう。教師は、授業の目的(動詞の過去形)を白板に書いた後、米国のアニメ映像「ピンクパンサー」の映像を全員に視聴させた。視聴後、教師が「What happened to him?(彼に何が起こったの?)」と聞くと、ある生徒が「He went to the hospital(病院に行きました)」と答える。「How many times did he go to the hospital?(何回行ったの?)」と続け、別の生徒が「He went to the hospital three times(3回行きました)」と答える。教師は、質疑応答というより、生徒の多様な気づきを、会話をするようにつないでいった。さらに、教師は、「Why did he go back home?((入院したのに)なぜ家に帰ったの?)」「How did he feel?(彼はどんな気持ちだったのかしら?)」などピンクパンサーがどう感じていたのか、どう考えていたのかを生徒に想像させる発問も加えた。教師は生徒の発言を白板に書き出し、その後、その記録をもとに動詞の過去形の説明を行った。さらに、生徒の発言ででてきた新出単語を赤で印をつけ、「新しく単語がでてきたのでこれも一緒に学びましょう」と言い、英単語の学習に入った。生徒は楽しみながら、ピンクパンサーの気持ちや考えを想像しながら英語での表現を学んでいた。
創造的な対話的実践を展開するためには、多様な考えの「出あわせ方」「つなぎ方」が重要である。事例において教師は授業導入部分で、主人公のピンクパンサーに一体何が起こったのかと生徒がワクワクしながら映像を視聴し、考えることができる出会わせ方をした。まるでこれから楽しい「遊び」が始まるようであった。「遊び」の中で交わされ、生み出される言葉は、自然で、即興的で、想像的で、創造的なものである(ホルツマン2014)。教師は、児童生徒の多様な問いや関心から、”遊び”のように即興的かつ共同的に、筋書きにない学びを作り出していた。
写真4:映像視聴をもとに会話を生み出す授業展開
紛争影響地としてのパレスチナでは、児童生徒の直接的な経験や学習リソースの不足、移動の制限、学習時間の不足から、児童生徒の学力や学習意欲に差が生じ、それが課題となっている。教師は多様な児童生徒への対応として、映像メディアを(1)間接経験の提供、(2)教師の身体の拡張、(3)SNSを活用した授業外活動、(4)拡大提示による共同注視、(5)創造的な対話的実践のために活用していた。
今後、パレスチナがめざす「生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する」教育は、教育環境の多様化により一層進んでいくだろう。パレスチナでは教室環境の整備が少しずつされている(写真5)。グループ学習がしやすい教室の什器・備品のレイアウト、情報通信技術(Information and Communication Technology)の導入が少しずつ始まっている。いずれ教師と教科書だけが学習の情報源でなくなり、多様なリソースを活用、選択できるようになるだろう。
映像メディアを活用して児童生徒の多様性が尊重、発揮される教育を一歩前に進めるために、本稿では、授業形態の多様化、および、多様性の活用の2つの観点から今後の展望を考察する。
写真5:多様な授業形態に対応できる教室環境の整備
- 3.1.授業形態の多様化
パレスチナの教師は、多様性を尊重した授業を行う一方、一人で何十人もの多様な児童生徒の学びを担うことに対して困難を感じている。本来、学ぶべき内容や方法は人それぞれ異なるものであるが、特にパレスチナでは、その社会的、経済的状況から、その違いは大きい。従来の学校システムは、学ぶ内容と方法を一元化し、「みんなで同じことを、みんなで同じように」学ぶ一斉授業のスタイルをとる。そして、その出来・不出来によって児童生徒を序列化し、落ちこぼれを生み出す。決められた内容を決められた通りにこなし、競い合うという教育のあり方も時代によっては合理的であったと言えるが、パレスチナの現状を鑑みると、そうではなく、自ら学び続ける力、生み出す力の育成が求められる。
自らが学び続ける力、生み出す力を育てるためには、まず授業形態そのものを見直す必要がある。一斉授業だけではなく、授業形態の多様化が求められる。具体的には2.3の事例のような児童生徒の学力や理解の進度に合わせて個別に学習できる「個別化」、2.5の事例のような多様な児童生徒の力をつなげながら全体で実りのある学びを達成していく「協同化」、さらには、児童生徒が問いを生成し、探究を軸とした「プロジェクト化」などがある(苫野2019)。
映像メディアを活用したプロジェクト化の事例として、日本のNHK for schoolが提供する理科番組「考えるカラス」がある。電車の中の空気の流れなど、日常の場面を映像で示し、理科の観点から視聴者に「なぜ?」を問い、問いを軸とした探究学習を促す。
授業形態の多様化は、児童生徒に「一方的に教えられ、評価される」立場から「自ら学び、生み出す」立場へと転換する。映像メディアは授業形態に合わせて、多様な用途で活用されうる。
- 3.2.多様性の活用
多様性は、教室の中に発展的な活動を生み出すリソースとなる。児童生徒は多様な気づきや見えを授業にもたらす。たとえば、理科の授業で、身の回りにあるものや映像に出てくる事象をもとに児童生徒に問いを作らせてみる。「鳥の飛び方はなぜ違うの?」「光はなぜ反射するの?」「なんで他の色がみえるの?」「どうして椅子の足は4本なの?」「どうして魚は水から出ると死んでしまうの?」「教室にある机はなぜこの高さなの」など教科書の枠をこえて問いが生まれるだろう。多様な問いは児童生徒が理科に関心を持つ入り口になる。自分が考えたことがない他の質問に触れることで、身の回りのことに理科的な関心を広げて、徐々に、理科への好奇心を高めるきっかけとなりうる。教室で教師が目の前にするのは、コントロールすべき対象ではなく、多様な才能と可能性を持つ児童生徒である。
また、児童生徒の学力や学習意欲の差(多様性)も、一斉授業では問題として立ち現れるが、多様性を活用する視点から考えれば、教え学び合いの活動を始めるニーズとなる。児童生徒の誤答も、発展的な授業へと展開するリソースとなる。
多様性を活用する教育において映像メディアを利用する場合、選定の基準として少なくとも次の2つがある。ひとつは、パレスチナのコンテキストにあった映像を選ぶ。児童生徒が自分の経験や知識と関連づけて見たり、解釈したりすることができるからである。2つめは、情報が多すぎないことである。情報を与えることを目的として映像を見せると、生徒は暗記して、正しい答えを出そうとする。その場合、想像力を働かせにくくなり、生徒の多様な意見や考えを引き出すことが困難となるからである。
本稿では、映像メディアの活用の観点から、生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重するパレスチナの教育の特徴を明らかにし、展望を考察した。パレスチナは、紛争影響地域としての政治的特殊性・脆弱性があるだけではなく、他国と同様にグローバル化、格差の拡大、子どもの貧困問題、目まぐるしく変化する教育をめぐる状況に直面している。パレスチナの生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する教育は、自ら考え、学び続け、新しいものを生み出す人材の育成につながっていくだろう。児童生徒が多様な考えに触れながら、話し合い、共通の理解を生み出すプロセスは、学び続け、生み出す力を培う上で不可欠なプロセスである。パレスチナではそのための教育環境が整いつつり、今後も発展的に生徒中心型教育を促進し、多様性を尊重する教育が展開されることが期待される。
多様性を尊重する教育を促進するためには、教師の専門的力量形成および評価についての議論も必要である。児童生徒の多様性を尊重する教育では、「実際の展開過程において、子供の願いや求めとの間に必然的なズレを生じされる。このとき教師がどれだけ子どもの側に立って、自らの案を柔軟に修正できるかが鍵となる(小林2004)」ため、教師が目の前にいる児童生徒の才能や可能性を見出しながら、それらを即興的につなぎ、授業を展開できるようになることが求められる(ロブマン・ルンドクゥイスト 2016)。また、本来、暗記中心の評価ではなく、児童生徒の多様なパフォーマンスを評価する方法を開発することも必要である。今後も継続してパレスチナの教師らとともにこれらの研究課題に取り組んでいきたい。
参考文献
- 独立行政法人国際協力機構(2018)教育は明るい未来をひらく:パレスチナで20年ぶりの教科書改訂を支援
https://www.jica.go.jp/topics/2018/20181120_01.html - 独立行政法人国際協力機構人間開発部(2015)パレスチナ自治政府教育セクター基礎情報収集・確認調査報告書
http://open_jicareport.jica.go.jp/pdf/12268884.pdf - エドガー・デール(著), 有光成徳(訳)(1950)学習指導における聴視覚的方法.政経タイムズ社出版
- ホルツマン.L (2014)、茂呂 雄二 (訳) 遊ぶヴィゴツキー: 生成の心理学へ.新曜社
- 岸磨貴子(2019)9章 異文化理解と交換, 香川秀太・有元典文・茂呂雄二(編著)パフォーマンス心理学入門:共生と発達のアート.新曜社, p.121-136
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- マクルーハン.M(1987)栗原裕、河本仲聖(訳)メディア論—人間の拡張の諸相. みすず書房
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- OECD教育研究革新センター編著(斎藤里美監訳・布川あゆみ他訳)(2014)多様性を拓く教師教育:多文化時代の各国の取り組み, 明石書店
- パレスチナ教育・高等教育省(2015)The Reference Guide/Manual in designing education and active learning.:Use of information and communications technologies(アクティブラーニングのための授業デザインガイドブック:情報通信技術の活用). State of Palestine, Ministry of Education and Higher Education
- ロブマン, C・ルンドクゥイスト, M.(2016)インプロをすべての教室へ 学びを革新する即興ゲーム・ガイド. 新曜社
- 苫野一徳(2019)学校を作り直す.河出書房新社
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岸 磨貴子
明治大学
明治大学国際日本学部准教授。教育工学専門。研究テーマは「多様性をつなげる教育、多様性がつながる学習環境デザイン」。国内では、学校教育において総合的な学習の時間をはじめ「探究学習」を研究対象とし、インプロなどパフォーマンスを軸とした協働的な学びのための教育プログラムや教材を開発している。国外では、中東(シリア、パレスチナ、トルコ)を中心に、難民など社会的に脆弱な立場におかれる子どもを含む誰もが個性や経験、強みなど多様性を発揮し共に発達していけるような場のデザインについての実践および研究を行なっている。