第25回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2016年12月~2017年6月
主要国のテレビ国際展開の現状と課題
中国のテレビ海外発信の進捗と、現段階における「内憂」・「外患」
テレビの海外発信能力を高めることは、一つの国家が激しい競争の中にある国際メディアの世界で如何に発言権を勝ち取り、自らの主張を発信し、影響力を高め、ソフトパワーを強化するかに直結する。また、一つの国家の国際的イメージ、さらには重大な政治・経済・外交問題における国家の核心的利益にもかかわるものである。
中国のテレビの国際化は、1950年代にその起源をさかのぼる。1970年代末以降、改革開放政策の深化に伴い、中国のテレビの国際化は明らかな形で加速していった。中国中央テレビ(CCTV)は、中国のテレビ国際化においても間違いなく先駆けをなしていた。1960~70年代に、CCTVは世界の33の国・地域のテレビと協力関係を結び、交流を進めてきた。1980年代には、CCTVが制作した『華夏掠影』『英語新聞』などの番組が多くの国々で放送されるようになり、1992年には、中国語の海外向けチャンネルであるCCTV-4が放送を開始した。2000年には、英語の海外向けチャンネルであるCCTV-9が放送を開始し、2004年には、スペイン語とフランス語によるCCTV-E&Fと、北米向けの多チャンネルプラットフォームである「長城平台」がスタートした。2005年にはアジア向けの「長城平台」が、2006年には欧州向けの「長城平台」もそれぞれ放送を始めた。2007年には、中国語のCCTV-4がアジア・ヨーロッパ・アメリカ大陸の各地域向けに分かれた形で放送を始め、CCTV-E&Fはスペイン語チャンネルとフランス語チャンネルに分かれた。さらにカナダ向けの「長城平台」もスタートした。2008年には、CCTV-9がアジア・ヨーロッパ・アメリカ大陸の各地域向けに分かれた形で放送を始め、2009年には、CCTVはアラビア語チャンネルとロシア語チャンネルを立ち上げた。2011年には、「国際的な発信能力を高め、国際的な一流メディア」を目標に、海外発信の旗艦チャンネルであるCCTV-9(英語)を改編し、面目一新した英語ニュースチャンネルとして「CCTV NEWS」を始めた。これは中国初の24時間英語ニュースチャンネルで、世界の華人社会における最初の英語ニュースチャンネルである。CCTV NEWSの位置づけは明確で、「アジアとのつながり」を旨とし、「中国の観点、東方の視角、国際化の意思表示」を追求し、全力でアジアのニュース世論を制し、BBCやCNNと並び立つということだ。このようにCCTVは、多くの海外向けチャンネルを設立し、多言語による対外発信ネットワークを形成することによって、そのグローバルメディアとしての地位を固めようとしたのである。ところが、今日における中国の大国としての地位を考えると、中国のテレビ界が国際社会においてもつ影響力はまだかなり限られたものと言わざるを得ない。国際的な情報発信の枠組みの中で、そのバランスが失われた状態にあることは変わっておらず、中国には今でもCNNやBBCのような国際的に一流のメディアに対抗しうるメディアが存在しない。
とはいえ、過去数年の間にCCTVをはじめとする中国のテレビは、海外発信の分野においてかなり重要な成果を上げた。これは中国のテレビが情報のグローバル化時代に対応して発展したことの結果であり、軽視することはできない。本報告では、中国のテレビの国際化の進捗状況を振り返り、CCTVが中心となり、各地方テレビ局がこれを補う形で進んできた道のりを紹介する。その上で、現段階の中国のテレビ海外発信における「内憂」・「外患」について分析する。
II. 中国のテレビ海外発信の進捗
中国のテレビ海外発信は大まかに以下の4つの時期に分けられる。
一 始動期(1958~1965)
この時期における中国のテレビは主に映画フィルムによるもので、郵送で海外に送り、中国について報道していた。1958年にCCTVの前身である「北京テレビ」(現在の北京テレビとは別)が設立された。開局の初期においては、中国国内の大きなニュースを報道し、中国における建設の成果や中国人の生活を紹介する番組に、中国語・ロシア語もしくは英語の解説を付けて外国のテレビ局に郵送し、使用してもらっていた。CCTVが海外に送った最初の番組は、1959年4月21日の『第二期全国人民代表大会第一次会議特集報道』で、7分間の番組だった。1960年からは、新年を祝うテレビ番組(通称“年賀番組”)の海外への郵送を始めた。1965年になると、CCTVが海外に送った番組は合わせて473本に上った。
二 曲折期(1966~1977)
1967年1月6日、CCTVは一時放送停止となり、2月4日に文化大革命の「造反派」が権力を掌握する中で放送再開となった。この第二期においては、文革の影響で、中国のテレビの海外発信の基本方針や具体的な運営の面で様々な偏向が生じた。この時期の中国のテレビの海外発信は、相変わらず「フィルムの輸出」の形態をとっていた。文革の最中は、この「輸出用フィルム」の制作は江青ら「四人組」のコントロールの下で、「自分を主とする」「左派を主とする」といった誤った方針を取り、「自分を核心とする」「一切を打倒する」という極左思想を宣伝し、自画自賛に陥り、それを受け手に押し付けるというひどい状況が現れた。解説の中にも、空虚な政治スローガンや現実に合わない大言壮語が見られた。海外に番組を提供する際に、相手が誰かを考えず、相手国の国情を無視し、文革を宣伝する大量のテレビニュースフィルムを送りつけたのである。したがって、多くの国はとても受け入れることができず、フィルムを送り返してきたほか、一部の国は受け取りを拒否したうえ抗議までしてきた。
三 成長期(1978~1991)
1978年に中国共産党の第11期三中全会が開かれて以降、中国のテレビの海外発信はしだいに本来の道を歩むようになった。1978年から1991年にかけては、中国のテレビの海外発信は成長期に入ったと言える。この時期においては、以下の2つの面で海外発信に進展が見られた。
1. 番組の送付、チャンネルの共同運営、海外チャンネルの借り受けといった方式を通じてテレビ海外発信を推進
1978年、CCTVはイギリスのメディア(中国語名:維新新聞社)との間でニュースの相互購入を行う関係を回復した。1979年、CCTVはさらに、アメリカとイギリスが共同で経営するUPITNと同様の関係を結んだ。当時この2社は、香港でCCTVの『新聞聯播』を収録し、海外の一部に送っていた。1980年からは、CCTVはアメリカのメディア数社との間でそれぞれ番組購入の契約を結び、同時に番組の提供も行った。また香港の東明企業に委託して、『中国電視』(「電視」はテレビのこと)というテーマの番組テープのコピーと販売を行った。しかし1989年6月、「天安門事件」の影響で、中国のテレビ界の海外発信は挫折を余儀なくされた。北米の華人テレビ局は全てCCTVの番組放送を停止し、CCTVの英語番組も1年にわたって放送が中断した。1989年の教訓は、中国政府に対外宣伝の重要性を知らしめ、政府は指導機構として、国務院に新聞弁公室を設置した。1990年、全国対外宣伝工作会議が開かれ、中国のテレビ局の対外宣伝能力を高めるべきとされた。1991年7月、CCTVに「対外センター」が設置された。またこの頃、CCTVはアメリカ・ロサンゼルスのPANDA TV及び他のテレビ局の間で番組供給の関係を結び、次第にその他の中国語テレビ局との番組供給関係を回復、特にニュース提供の面を強化した。CCTVの対外センターはさらに英語番組を海外のテレビ局で放送する新しいプロジェクトを発展させた。この他、中国の改革開放の実際の状況を海外の視聴者に紹介するため、海外向けのニュース番組『中国報道』を制作、これを中核とした『今日中国』の英語版をワシントン・ニューヨーク・ロサンゼルス・シカゴなどの都市で毎週定時に放送、さらにフランス語版も「フランス3」で定時に放送した。その後、衛星伝送技術の発展にともない、中国のテレビの海外発信はさらに先進的な番組伝送方式を採用するようになった。1991年7月、CCTVの番組が初めて東経96度5分の上空にあるロシアの静止衛星に送られた。1992年1月より、CCTVは毎日1時間の中国語及び英語の対外発信番組を国際衛星でアメリカに伝送し、シカゴのテレビ局がKuバンドとCバンドの衛星に載せることで、北米全域でその日に中国で起きた重要なニュースを見られるようになった。1990年代からは、CCTV以外に、地方テレビ局もこの対外発信の隊列に加わった。1991年4月、上海テレビはアメリカ・サンフランシスコの企業と共同でテレビ局(中国語名:華声電視台)を立ち上げ、サンフランシスコの第66チャンネルで放送を開始した。このチャンネルでは、上海テレビが毎日『中国新聞』という10~15分のニュースに加え、中華民族の発展の歴史や風土・人情を描いた『神州風采』などを提供した。ただ、この時期における中国のテレビの海外発信は主に番組を伝送したりチャンネルを賃借したりする方式が取られており、海外発信の効果は十分なものではなかった。放送時間は短く、放送のカバー地域は狭く、視聴率は低かった。また、番組テープを郵送する方式では、ニュースとしての新鮮味に欠ける問題があった。
2. 海外との合作によるテレビ国際化の推進
第二段階においては、中国のテレビの海外発信は番組テープの郵送や衛星の賃借に加え、海外のテレビ局と共同で番組の撮影・制作をし、海外で放送することにも取り組んだ。1970年代末から90年代初期までの10数年間、CCTVは日本・アメリカ・西ドイツ・イギリスと共同で10数件の大型テレビ番組を撮影・制作した。
当時、海外と共同制作したテレビ番組には、2種類の方式があった。1つは「合拍」と言い、海外側が資金を投入し、中国側と双方で制作に人を充て、共同で撮影計画を練り、同じ素材を撮影、その後の制作の段階で各自が編集を行い独自の番組にするというものである。もう1つの方法は、「協拍」と言い、海外側が資金を提供すると共に、撮影に際して要求を出し、中国側が連絡や受け入れ、翻訳などのサポートに当たるものである。当時、中国と海外のテレビ局が協力して作った番組には影響力の大きなものが少なからずあった。特に日本のテレビ局と協力した作品は、豊かな成果を上げている。『シルクロード』はCCTVが初めてNHKと共同で制作した大型のシリーズものテレビ番組である。このシリーズの撮影業務は1979年8月から1981年5月まで続き、中国国内の数万キロを移動した。『シルクロード』は日本社会で大反響を呼び、「シルクロードブーム」を巻き起こした。この番組の成功の後、1981~83年にかけて、CCTVは日本の佐田企画と共同で、大型ドキュメンタリー『長江』を制作した。日本での番組名は『揚子江』、CCTVの番組名は『話説長江』とされた。1985~88年には、CCTVとNHKの間で再び大型ドキュメンタリー『黄河』を共同制作した。
四 全面的発展期(1992年~現在)
1992年から現在に至るまでは、中国のテレビ海外発信は歴史的発展を遂げた。1991年以前は、CCTVの海外発信は無料で番組テープを送付するやり方だった。1992年から、北米・西欧・東南アジア・オーストラリアさらに台湾・香港などの地域で相次いで番組テープの販売ネットワークが形成された。
この段階において、海外発信の成果は以下の諸点に表れている。
1. 多くの海外向けチャンネルを開設し、海外発信が多言語・多チャンネルの時代に
1992年10月、CCTVの最初の海外向け衛星チャンネルであるCCTV-4が正式に開設され対外発信を始めた。これは中国のテレビ海外発信史上、重要な一里塚であった。CCTV-4は衛星を通じてアジア・豪州・アフリカ・東欧・中東さらには台湾・香港・マカオなど80余りの国と地域をカバーした。1997年10月には、このCCTV-4はKバンドの衛星伝送を通じて北米をカバー、ユーザーは直径1メートルのパラボラアンテナがあれば直接受信できた。番組テープの郵送から衛星による番組直接受信に移行することで、ニュースがタイムリーな形で視聴でき、番組の情報量も増加した。2002年9月、CCTV-4は「ニュース強化、台湾を主対象に、文化を広め、粋を集める」をテーマに番組改定を行った。2006年1月、CCTV-4はさらに全面改定を行った。この時の改定では、基本戦略として海外発信は「(受け手の)現実に近づき、ニーズに近づき、習慣に近づく」の原則に基づき、チャンネルの構成、自主制作番組や粋を集めた番組の確保、色彩の演出等についてさらなる改善を施した。これによって、CCTV-4が香港・マカオ・台湾それに海外華人向けのチャンネルとして一層発展するようにした。2007年1月、CCTV-4は、アジア向け・欧州向け・アメリカ大陸向けに内容を分けた形で放送するようになった。
またこれと同時に、1990年代から、中国の多くの省レベルのテレビ局が海外向けチャンネルをスタートさせるか、もしくは衛星経由で海外での放送を始めた。1994年1月、浙江テレビの衛星チャンネルは、衛星を利用して周囲の40あまりの国と地域に発信を始めた。1997年、黒竜江テレビの衛星チャンネルがアジアサット2号を通じてアジア太平洋の50以上の国と地域に伝送され、現在アメリカのロサンゼルスなど22の都市やオーストラリア・ニュージーランドの主要都市でも黒竜江テレビの番組が見られる。2002年1月、上海東方テレビ(改編前は上海テレビ)の衛星チャンネルは日本のSTV-JAPAN株式会社と合意書に調印、日本全国で番組を放送するための日本政府の許可をCCTVに次いで2番目に取得した中国のテレビ局となった。2009年5月には、湖南テレビも海外向けチャンネルを設立、同様に「長城平台」を通じてアメリカ・ヨーロッパ・アジアの市場に進出した。2010年1月には、広西テレビが海外向けチャンネルを設立、また同じ日に、新華社が主催するCNC(中国新華新聞電視網=新華社テレビニュースネットワーク)が正式に衛星を経由してアジア太平洋とヨーロッパの一部地区での放送を始めた。これまでに、北京テレビ衛星チャンネル(以下北京衛星と略、他も同様)、上海東方衛星、広東南方、江蘇海外向け、淅江海外向け、アモイ衛星、福建海峡衛星、湖南海外向け、中国黄河、深圳衛星、重慶海外向け、安徽海外向け、黒竜江衛星の各チャンネルが既に海外進出を果たしている。現在、CCTVと地方の10あまりのテレビ局が海外向けチャンネルを始めており、海外では20余りの中国のチャンネルが放送されている。また中国語のテレビチャンネルが次々と海外に進出する一方、中国の外国語によるテレビチャンネルの建設も目を見張る発展を遂げた。
1997年6月27日、CCTVの海外向け英語チャンネルが試験放送を始め、2000年9月25日には正式放送となった。2004年5月8日、この英語チャンネルは全面改編となり、外国人を番組キャスターに据えた。チャンネルの位置づけの見直しがこのときの改編の特徴で、それまでは「世界に中国を理解させる、中国を世界に向かわせる、世界に向けて中国を理解させるための窓を開く」を旨としてきたが、これを「グローバルな視点、中国の目、世界の窓」と変更した。そして改編の核心は、もともと1つだった「窓」を2つに増やし、国際社会が中国を理解する「窓」だけでなく、中国が世界を理解する「窓」でもあるとした。
2004年10月、CCTVのスペイン語・フランス語チャンネルが放送を開始した。デジタル圧縮技術を採用し、パンナムサット8号、9号、10号及び銀河3C、アジアサット3C等の衛星を利用して全世界をカバーした。2007年10月、CCTVのスペイン語・フランス語チャンネルは、正式にCCTV-F(海外向けフランス語放送)とCCTV-E(海外向けスペイン語放送)の2チャンネルに分かれた。2009年7月には、CCTV海外向けアラビア語チャンネルが発足、同年9月には、CCTV海外向けロシア語チャンネルが正式にスタートした。2010年4月には、海外向け英語チャンネルをニュースチャンネルのCCTV-NEWSに改編、中国初の外国語ニュースチャンネルとなった。同年7月には、中国新華新聞電視網(新華テレビニュースネットワーク)英語チャンネルが発足した。
2. 国際協力を通じ、中国のテレビの国際化の範囲は徐々に広がる
1992年から現在に至るまで、各国の政府及び民間部門などの協力により、中国のテレビの対外発信はカバー地域の拡大を見た。
1992年11月、CCTVは香港の徐展堂氏と協力し、イギリスのロンドンで「欧州東方衛星電視」を創立し、ヨーロッパの衛星チャンネルで放送、欧州全土と北アフリカをカバーするにいたった。1993年8月、CCTVとアメリカの「3Cグループ」が協力し、アメリカで「美州東方衛星電視」を創立、カバー地域はアメリカ・カナダ・メキシコ・カリブ海に及び、これによって台湾がバックにいる「北美衛視」が1970年代から北米を仕切ってきた局面を打ち破った。1995年からパンナムサットの賃借を始めると、「美州東方衛星電視」はCCTVの海外向けチャンネルを直接受信するようになった。その後、オーストラリアのSBS(先住民向けテレビ局)やチャンネル9、香港のi-Cableなどが相次いでCCTV-4(中国語)の配信を始めた。同年6月、CCTVはアメリカのACTVとの協力合意書に調印、当日からACTVはサンフランシスコ地区の64チャンネルにおいて、CCTVの英語ニュースや特集、娯楽番組などを毎日1時間放送、1997年11月からは毎日3時間放送となった。1997年5月、南アフリカのテレビ局(中国語名:多選電視台)はパンナムサット4号とホットバード3号衛星を通じて、CCTV-4の番組を放送、CCTVの番組がデジタル衛星を通じてアフリカとヨーロッパの全地域をカバーするようになった。同年10月には、CCTV-4はアメリカのギャラクシー4号衛星を通じて北米をカバー、北米の視聴者は直径1メートル以下のパラボラアンテナを通じて直接番組を受信できるようになった。この1年、CCTVの海外向けチャンネルは最後の空白地域だったラテンアメリカ地域のカバーも実現した。1997年11月、CCTVはまずブラジル最大のテレビネットワークの一つである衛星直接受信ネットワークTVAへの進出を果たした。同年12月、メキシコのテレビ局「テレビサ」は、SKYの衛星テレビネットワークを通じて、世界のスペイン語地域に向けてCCTV-4の番組を放送した。
1998年8月、CCTVとフジテレビなど日本の数社が協力し、「CCTV大富」チャンネルを設立、日本のスカイパーフェクTVによる直接受信の形で放送を開始した。「CCTV大富」はCCTV-4の番組中継を主とし、一部に日本向けの独自番組を挿入、有料放送の形で運営した。2000年には、CCTVはノルウェーの通信会社と協力、CCTV-9をCanal Digitalの直接受信チャンネルに組み込んだ。同年、CCTV-4がオーストラリアとニュージーランドでそれぞれ中国語名:「翡翠互動」「中華電視網」という直接受信プラットフォームに組み入れられ、現地の華人地区での視聴を可能にした。2001年、SARFT(国家ラジオ映画テレビ総局)の協力の下、CCTVはアメリカのタイム・ワーナー及びニューズ・コープとの間で合意書に調印、CCTV-9がアメリカの一部の都市のケーブルネットワーク及び直接受信プラットフォームに組み入れられた。同時に、相手側のSTARとCETV(華娯衛視)の2チャンネルが、広東省の一部のケーブルネットワークに配信され、海外メディアとの互恵的な協力関係のさきがけとなった。2003年3月初め、CCTV-9はイギリスのBSkyBとフランスのTPSという衛星直接受信プラットフォームで同時に放送を開始、英仏両国で一挙に1000万世帯近くをカバーすることになった。同年9月、ナイルサット衛星を通じてエジプト及び中東地域の300万世帯あまりをカバーした。
2004年からは、中国のテレビの海外発信は主に同年創設された「長城平台」での放送を目標とした。「長城平台」は、中国国内の10数社のテレビ局が海外のメディアと協力し、CCTV子会社の「国際電視」がチャンネルのパッケージを担当し海外での放送を推進する中国の衛星テレビプラットフォームである。2004年10月、アメリカにおける「長城平台」がまずスタートした。これはビジネスベースで運営され、衛星を通じて各家庭が直接受信する、中国のテレビチャンネル海外進出の大規模な成功例である。このプラットフォームは12のテレビ局による19のチャンネルで組成し(2010年4月の段階で、チャンネル数は22に増加)、その中にはCCTVのCCTV-4、CCTV-9、スペイン語・フランス語、戯曲、娯楽、中国映画などのチャンネルをはじめ、北京、上海東方衛星、広東南方、江蘇海外向け、浙江海外向け、アモイ衛星、福建海峡衛星、湖南衛星、中国黄河、香港のフェニックス米州、フェニックス情報、ATV Home(米州)、華夏などの各チャンネルが組み込まれ、1500万世帯の視聴者をカバーした。2008年4月4日の段階で、「長城平台」(アメリカ)のユーザー数は66247世帯に達した。続いて、アジアでも同名のプラットフォームが2005年2月にスタートしたが、こちらはビジネスベースの運営ではない。「長城平台」(アジア)は11のテレビチャンネルで組成し、この中にはCCTVのCCTV-4、CCTV-9、戯曲の各チャンネルをはじめ、地方の衛星チャンネルが含まれ、中国の香港・マカオ・台湾それに日本・韓国・ミャンマー・タイなどの国々をカバーしている。2005年7月、CCTV-9はニュージーランド最大の有料放送であるSky TVで放送を始め、70万世帯の家庭に届けた。2006年8月、長城平台(欧州)の14チャンネルがIPTVネットワークを通じてフランスで放送を開始、長城平台が初めてIPTV経由で各家庭に入り込んだ。2008年2月末の段階で、ユーザー数は11824世帯に達した。2006年12月、CCTV、上海東方衛星、北京など9チャンネルによる長城平台(カナダ)がカナダで放送する許可を得て、2008年2月末現在、ユーザー数は7663世帯に達した。2007年2月、CCTVと韓国KBSは、KBSがCCTV-9の普及に向け、韓国国内でケーブルテレビを通じて放送できるよう協力する合意書に調印した。2008年1月、長城平台(ラテンアメリカ)が正式にスタート、CCTVと地方のテレビ局の計13チャンネルがパッケージ化されている。2009年9月、長城平台(東南アジア)がIPTVによって東南アジア地域で放送を開始した。パッケージにはCCTVのCCTV-4、CCTV-9、戯曲、娯楽、中国映画をはじめ、地方テレビ局の衛星チャンネルが含まれている。
2010年3月段階で、長城平台の海外での有料ユーザーは10万世帯を超えた。このうち、CCTV-9と同スペイン語チャンネルが入っているアメリカの衛星放送エコスターのユーザーは1400万世帯、CCTVフランス語チャンネルが入っているフランスのIPTV事業者のユーザーは550万世帯である。2010年1月末段階で、CCTVは6つの海外向けチャンネルの海外進出業務について世界各地の258社と協力し、チャンネルごとの放送もしくは一部の番組の放送を含め336のプロジェクトを実施した。これによって140の国と地区で番組の放送を実現した。このうち、チャンネルごと配信しているケースのユーザーは総計1億3248万世帯にのぼる。
このうち、CCTV-4がチャンネルごと進出できたのは85件あり、既に95の国と地域で視聴され、視聴可能世帯は1500万世帯にのぼる。同様の数字はCCTV-9では129件、96の国と地域、8439万世帯である。またフランス語チャンネルでは20件、36の国と地域で、1016万世帯。スペイン語チャンネルでは17件、13の国と地域で、1582万世帯。アラビア語チャンネルでは2件、600万世帯。ロシア語チャンネルは8件、111万世帯である。
Ⅲ 現段階での中国のテレビの対外発信における「内憂」と「外患」
これまで述べてきたように、中国のテレビの対外発信は既に飛躍的発展を遂げた。
しかし、現段階では依然としてそこに「内憂」と「外患」があるのも事実だ。このうち、「外患」は、中国のテレビが直面する外部の厳しい情勢と多くの阻害要因である。また「内憂」は、中国のテレビ自身が発信の面において人を満足させられない部分があることだ。
一 中国のテレビの対外発信における「外患」
現在、世界のニュースの90%以上は西側の7つの大国のメディアによって壟断されており、そのうち70%は多国籍企業が支配する。アメリカは世界のテレビ番組制作の75%をコントロールしている。このため、中国とアメリカは発信力の点で少なからぬ差がある。またアメリカなどの先進国との間に発信力の差があるだけでなく、中国のテレビ業界は対外発信の際に、文化やイデオロギー面での差も克服しなければならない。ニュース情報に関して言えば、中国の対外発信は主に海外メディアの中国駐在拠点や中国駐在の外国人、それに中国の対外発信機構を通じて行われる。このうち中国の対外発信機構は海外の人々に情報を送り届ける過程で、国境を超え、イデオロギーや文化の差を乗り越えなければならず、発信にはインフラ整備だけでなく文化や政治制度の違いからくる発信力の歩留まりの悪さを補う「ソフトパワー」が必要になってくる。
二 中国のテレビ対外発信における「内憂」
現在、中国は世界中で外国語による海外向けテレビチャンネルを最も多く持つ国であるが、2つの点で発信の効果が見られない問題がある。1つは、国際的情報流通の中で「西強中弱」という、西側優位の状態が続き、「伝えても通じない」ことである。もう1つは、対外発信に関する主観的・保守的な観念のため、「通じても受け入れられない」ことである。具体的には、以下の6つの面の問題が存在する。
1. 発信の理念 「発信」と「宣伝」の混同
中国のテレビの対外発信を担当する一部の指導者や従業員は、理念の面で、「発信」と「宣伝」という2つの概念を混同している面がある。現代の中国文化において、「宣伝」とはプラスの意味であり、積極的な意義を持つ。しかし西側の文化においては、「発信」とは海外に向けて自国の番組内容を伝達することであり、一方「宣伝」という言葉は非常に強い政治色を持つ。「宣伝」の元々の英語訳である「propaganda」には非常に強いマイナスのイメージがあり、「虚偽」や「欺瞞」とほとんど同じ意味になっている。
中国と西側の交流が増すにつれ、「宣伝」という言葉の使用には慎重になってきた。 しかし、発信の理念の中では、今でも「宣伝」の考えが残存している。中国のテレビ発信においては、国内向けの「宣伝」思考が、多かれ少なかれ対外発信にも表れている。 例えば、CCTV-NEWSが海外に進出する際、「対外宣伝」の発信理念の長期にわたる束縛から今も逃れられていない。具体的には2つあり、1つはニュース報道の際に、CCTV-NEWSはほぼ常にニュースの主題を「中国」に設定し、発信の対象について「普通の、中国を良く理解していない西側の民衆」と主観的に決めつけ、ニュース報道の掘り下げ方が不十分なことである。もう1つは、国際的に重大なニュースを報道する際、CCTV-NEWSはいつもニュースの見出しで頻繁に「China」という言葉を使う。
中国は対外発信の際に、いまだに「良いニュースのみを報道する」「家の中の不祥事は外に漏らさない」といった考えを捨てきれていない。これではCCTV-NEWSの長期的発展にとって不利である。
2. 発信の方式 「国内向け」と「海外向け」の区分があいまい
海外向けテレビニュースの多くが、国内向け報道のやり方を踏襲しており、海外の視聴者の語学力や習慣、文化レベルの違いを考慮していない。対外発信と対内発信の最大の違いは、視聴者が異なることである。海外発信の視聴者は外国人もしくは海外に在住する華人であり、その居住する国家・地区・民族や言語・風俗習慣・生活方式・価値観・宗教の信仰・政治的立場など多くの面で中国国内とは大きな差がある。したがって中国メディアは発信内容に関して、対内と対外を区別しなければならない。また、対外発信の際もその対象ごとに若干の差が存在するので、異なる国家・地域に対しては発信内容が同じではいけない。
3. 発信を行う人材 国内重視で海外軽視の傾向
海外発信の分野で今普遍的に存在する問題は、人材の配置や人材の素質が満足いくものでなく、発信チームが安定性を欠くことである。CCTVを含む主要メディアにおいては、対外のニュース報道の人員は明らかに数が不足している。例えば2010年3月の段階で、CCTVのアラビア語チャンネルの人員は100人に満たない。次に、海外向けチャンネル、特に外国語チャンネルの要員のレベルが満足できる状態でない。国内向けに発信するテレビ局社員と比べ、海外向けの要員に要求されるレベルは一段と高い。外国語を理解するだけでなく、テレビ業務にも精通し、さらに重要なのは対外発信のルール・特徴・技術を知っている必要がある。発信対象に対する理解という点だけでも、海外発信を担当するテレビ局員は異なる社会制度や文化的背景の下にある海外の視聴者の特殊性を熟知し、彼らの情報ニーズを知っている必要がある。ところが現状では、中国のテレビの対外発信部門の人材のレベルは十分でなく、その多くは語学学習者の出身で、テレビ業務についての学習や対外発信に関する訓練を系統だった形で受けてはいない。この他、海外発信チャンネル特に外国語チャンネルの人材の入れ替わりが国内のチャンネルと比べて頻繁で、チームが安定性に欠ける問題がある。主な原因は待遇が低いことであり、中国のテレビが「“事業”と“企業”の併存」という構造の下で、従業員間の身分・待遇・職業上の前途に差があることがある。
4. 調査研究 視聴者研究と発信効果の研究が貧弱
テレビの海外発信に関して言うと、視聴者というものは、通常の調査方法でサンプル調査を行い、統計を取った視聴者の集まりではもはやないことが重要だ。海外の視聴者の本当の実態はどのようなものか、まだほとんど分かっていない。というのはこれを数量的に測定するのは非常に難しく、少なくとも現段階では十分な測定能力を有していないと言える。また、ネットメディアの急速な発展で、多くの海外の視聴者が主にネットを通じてテレビ番組を見るようになった。テレビメディアは視聴率調査や視聴質調査を行う際、いかにしてネット視聴を調査対象に組み入れるかが難点である。
とはいえ、視聴者を研究し、発信効果を掌握することは、テレビの対外発信を進める上で必要不可欠である。中国のテレビの対外発信機構は、「送り手」「情報」「媒介」については良く知っているが、「受け手」「効果」については疎いところがある。言い換えると、中国のテレビ対外発信の発信過程がしっかりしておらず、その原因は「受け手」「効果」についての研究不足である。中国の海外向け特に外国語チャンネルでは、受け手の所属する国・地域は様々で、民族も異なり、政治・経済・社会の環境、さらには価値観・宗教の信仰・思考習慣・生活習慣も異なる。中国のテレビはこうした状況での理解も研究も不十分で、きちんと的に向かって矢を放つことができない。自らの想像と憶測に基づいて発信するのみで、発信する内容・手段について相手の特徴を考慮しないので、発信効果が低いばかりか、悪くすると受け手の反感を買ってしまう。また、発信の効果について、中国のテレビはほとんど何も把握していない。国の関連する部門やメディアは毎年大量のヒトとカネを投入し、外国語チャンネルの海外進出を進めているが、長期的かつ定期的な、効果に関する調査を行ってはいない。これでは発信する内容や手段の改善はおぼつかない。もちろん、こうした問題の根本的原因は中国のテレビ海外発信のシステムが脆弱なことだ。例えば、CCTVは1992年に最初の海外向けチャンネルを創設して以来、ずっと「受け手」や「効果」について調査研究する機構を作らずにきた。1997年になって、当時CCTVの海外向けチャンネルが所属していた「CCTV海外番組センター」にようやく「視聴者連絡室」が設置され、その後、現在に至るまで、主に海外の視聴者との連絡、視聴者の声の収集・整理及び関連する調査の仕事をしてきた。しかし、たった4人で構成されるこの部署にできることは非常に限られており、その結果も系統性を欠き、信用度も高くない。
5. 視聴者開拓と運営 市場の細分化や相手に合わせた対応の欠如
テレビの対外発信の対象は往々にして異なる国、異なる文化の人々だ。またたとえ同じ国であっても、仕事をしたり休息したりする時間帯が異なることもあるので、対外発信は国・文化・時間帯の違いに応じた「差別化戦略」が必要になる。例えば、CNNの海外向けチャンネルは、サービス対象地区の違いに応じ、4種類の番組編成をしている。ヨーロッパ版はベルリン時間に合わせて編成し、ラテンアメリカ版はブエノスアイレス時間に合わせる。アメリカ版はアトランタつまりアメリカ東部時間に合わせて編成し、4つ目のアジア版はさらに日本・オーストラリア・タイ・台湾など13の国と地域に分けて編成する。CCTV-4は現在アメリカ・ヨーロッパ・アジア向けの3種類あるが、他の外国語チャンネルは「差別化」への努力が始まったところである。
この他、テレビの対外発信と対内発信の違いとして市場競争のルールがある。中国のテレビが海外市場に進出する際、相手方の「ゲームのルール」を守らねばならず、もう一方で、自らの“商品”は受け手の個性に合わせたものにする必要がある。中国のテレビ番組が世界に進出し、外国人に受け入れられるには、2つの道がある。1つは、国内で成功したテレビドラマなどを何とかして世界に売り込むことだ。もう1つは、もっぱら外国の視聴者の特徴に合わせ、番組を制作することである。外国の視聴者の審美眼や価値観が受け入れられる範囲を理解し、中国文化が外国の視聴者にとって魅力に映る部分を探し出すと共に、中国文化と外国文化が交差する点や合致する点も見つける必要がある。テレビ市場を国内市場・国際市場・グローバル市場・華人市場・欧米市場・日本や韓国の市場・東南アジア市場・アラブ市場などに分類し、異なる市場には異なるテレビ番組を開発していく必要がある。
6. 資源の利用 水平統合の欠如
中国のテレビの海外発信は、国のレベルで見ると、他業種のメディアとの水平統合が欠如している。西側の国家、たとえば、イギリスでは、BBCが海外発信のラジオとテレビをともに実施している。アメリカの大手グローバルメディアに至っては、テレビ・ラジオ・映画・雑誌・新聞・ネットを同時に運営している。しかし中国の海外向け報道メディアの間では、現在まとまった体系が成立していない。メディアの対外宣伝はそれぞれが自らの道を歩み、ヒト・モノ・カネとニュース情報資源を十分統合できていない。時には中国のメディア同士で「消耗戦」を戦うこともあり、中国のテレビ国際化における影響力を弱めている。西側の先進国と比べ、中国のテレビは運営管理体制上も多くの問題を抱えている。資源の潜在力を十分活用できておらず、有利な部分も十分発揮できていないため、政府の全面的な戦略指導が実施できない。管理コストが高くて効率は低く、長期的に効果を上げる機能が不足している。例えば、新華社・CCTV・CRI(中国国際ラジオ)・人民日報海外版・中国新聞社・チャイナデイリー・中国外文出版発行事業局などの国家レベルのメディアの間には、ヨコのつながりがない。コミュニケーションや交流がないので、ましてや共同行動はせず、対外発信で力を合わせることができない。また、海外向けテレビチャンネルの間でも似たような問題がある。例えば、比較的大きな省や直轄市にはみな海外向けテレビチャンネルがあるが、これらの間には必要なヨコのつながりがなく、互いに良いところを出し合って力を出すことになりにくい。同時に、中国の対外発信チャンネルに関して言うと、国としても現在その全体を統括し、チャンネル同士の協力・互恵関係を築くような主管機構を持っていない。こうしたチャンネルはそれぞれ目標とする視聴者やカバーエリア、言語などについて、特徴をもったすみわけが必要である。
チャンネルの位置づけについても、グローバルメディアを目指し、ブランド戦略を主とし、中立性・独立性の高い編集方針を持って世界市場でシェアを高めようとするものと、政策の情報を伝達し、中国の立場を表明し海外のエリート層に影響を与えようという政府の方針に沿ったもの、さらに専門性を前面に出し、専門性の高い人々を対象に深い知識や分析、独特の視点を提供し、質で勝負するもの、などである。
また、内容面も細分化する必要がある。全ての対外発信テレビチャンネルが「大きくて完全なもの」になれるはずもなく、それぞれが自らの長所・特色を発揮すべきである。対外ニュース発信の目標をめぐっては、必ず統一的な計画と配置が必要で、新たな全体構造と業務メカニズムを確立することで、各メディアの力を合わせた対外発信が形成され、国と各地方の対外宣伝部門や各国に駐在する中国大使館などの参加により、対外発信の新しい境地が開拓される。全国の対外発信の資源を統合し、各地のニュースや政府の対外広報情報、文化資源などを有効に組み合わせて、ともに中国のテレビの国際化を進めていくべきである。
Ⅳ まとめ
総じて、中国のテレビの海外発信は長足の進歩を遂げたとはいえ、今も様々な問題を抱えており、任務達成への道のりは遠い。したがって、国際化の歩みを速めるのと同時に、テレビの対外発信機構は自らの組織の充実が必要であり、自らの対外発信の特色を打ち出し、国際競争力を高め、発信力と影響力を高めねばならない。
具体的には、もっとも主力であるCCTVが今後一層オリジナルの番組を制作し、海外における取材・編集の能力を高め、グローバルな報道ネットワークを形成し、自らニュースを発掘する能力を鍛えなければならない。同時に、海外の主要メディアとの協力関係も強化し、そうした相手と効果的な資源共有を図るべきである。特にアジア地域や発展途上国のメディアとの協力を推進し、ニュース資源の効果的な共有によって海外発信の範囲を不断に拡大する必要がある。そしてウィンウィンの目標を実現し、中国とアジアの声を世界から重視されるようにすることだ。この他、中国のテレビの国際化を加速するため、海外発信の開放度を高める必要もある。
現在に至るまで、「政治宣伝」や「お役所臭さ」というものが、中国のテレビが海外市場を開拓する上での足かせになっており、中国のテレビが海外のメディアと国際市場を争った際に不利な状態に置かれることもある。CCTVは共産党中央宣伝部及びSARFT双方の指導下にあり、具体的な問題ではさらに国務院新聞弁公室(党中央外宣弁)や外交部などの指導も受けることになる。このような制度の下では、CCTVの番組は時に「政治宣伝」の烙印を押されざるを得ず、発信の活動において各方面から制約を受け、CCTVの独立性は確保できない。このため「報道の自由」「メディアの独立」を信仰する西側の視聴者から信用されることは難しい。今解決しなければならないのは、中国の発信のシステムを開放的なものにすることで、これによって初めて中国のテレビが海外で自らの土地を開拓でき、今の中国の国際的地位にふさわしいメディアとなれるのである。
参考文献
- 毕仁科、《中央电视台新闻频道国际新闻报道研究》、湖南大学硕士学位论文、2013年10月15日.
- 舒是、“国际化进程势如破竹”、《广告导报》、2007年、p.16-18.
- 孙宝国、《中国电视对外传播研究》、中国广播电视出版社、2014年7月1日.
- 王红蕾、“从媒体大国到媒体强国—浅论中央电视台的国际化战略”、《新闻爱好者》、2009年23期、p.11-12.
- 魏艺、《多语传播与国际融合—从中央电视台多语频道探讨我国媒体的对外传播》、四川大学硕士学位论文、2007年4月8日.
- 央视网“视网7视国际报道与对外宣传50年”: http://ad.cctv.com/special/news/20090730/106188.shtml 2009年07月30日11:56
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周 倩
北海道大学大学院 メディア・コミュニケーション研究院 准教授
プロフィール
2016年12月13日 現在、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 助教
2017年1月1日、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 准教授
東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。
日本学術振興会特別研究員(DC2)、東京大学大学院情報学環交流研究員、早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、ブリティッシュコロンビア大学社会学研究所客員研究員を経て現職。
専門はメディア社会学、日中比較社会学。
著書に『勃興する東アジアの中産階級』(共編著、勁草書房、2012)、
『東アジア観光学-まなざし・場所・集団』(共編著、亜紀書房、2017.3予定)、
『想起と忘却のかたち:記憶のメディア文化研究』(共編著、三元社、2017.3予定)
主な論文に、
「今日の中国社会における<中産階層ドラマ>の受容」(『マス・コミュニケーション研究』2009年)、「中国の「中産階層」とそのメディア・イメージ――グローバルな視点からの検討」(『年報社会学論集』2010年)、「<ミドルクラス>の再考――社会構築主義とメディア学の視点から理解模型を提示する」(『情報学研究』2013年)、“The Social Stratification of Residential Space as represented by the Media: A Comparative Study of Chinese and Japanese Real Estate TV Commercials”(『城市空间的社会意涵』2015年)、「住宅広告における階層イメージ――現代中国の事例を中心に」(『中国研究月報』2016年)、“Foreign Travels of the Chinese Middle Class and Self Construction in Social Media” (Asia Review, Vol.7 | No.2 | 2016) など。