第24回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2016年1月~2016年8月
アジアのテレビ放送局の現状と課題
論評:国情を映す鏡としての放送メディア
アジアは多様であり、放送メディアも一括りに論じることはできない。状況は国ごとに大きく異なる。独裁政権の元で誕生し発展してきた放送局が多く、今も当局の厳しいコントロール下にある国もあれば、ある程度自由なメディアを享受している国もある。メディアはその国の状況を反映する。今回シンポジウムに参加したアフガニスタン、キルギス、モンゴル、スリランカおよび中国・香港・台湾の事情も多様であり、日本に暮らす私たちにとって実態をつかむのが難しい国ばかりである。本シンポジウムは、そうした国々の放送局の最新状況を知ることができた貴重な機会であった。
歴史の中の放送局の現在地
放送局の発展は歴史の流れの中で理解する必要がある。アフガニスタンの報告の中に「テレビはアフガニスタンにおける最も一般的な放送プラットフォームである。アフガニスタンの64%近くが毎週テレビを見ている」と書かれている。何気ない文章であるが、私自身は感慨を持って読んだ。
実は、2002年10月末から11月にかけて、アフガニスタンRTAを訪ねたことがある。タリバン崩壊から1年後の放送局の様子を取材するためである。放送局を訪問すると、ライフル銃で武装した警備員を目にして驚いた。建物の壁いっぱいに残る弾痕が生々しい。屋上に設置された巨大なパラボラアンテナは砲撃を受けて一部が吹き飛んでいた。放送局周辺もまさに銃弾が行き交う戦場だった。
「タリバンがカブールを占拠し、一般市民のテレビ視聴を禁止するとともにテレビ局を閉鎖した。技術者、プロデューサー、ディレクター、司会者などテレビ局のスタッフは別の仕事を探すよう命令された。2001年タリバンのカブール撤退後、RTAは5年ぶりに放送を再開した。(報告書p.6)」
タリバン政権が崩壊した直後に放送を再開できたのはなぜか。現地取材で、RTAの技術スタッフがタリバンの目を盗んで定期的に放送局に入り、いつ放送が再開されても機材がきちんと作動するよう手入れを続けていたと聞いた。壊れた機材が山積みに保管されている部屋があり、そこから使える部品を取り出し、別の機材の補修に使っていた。日本が30年前に提供したスタジオや送出卓は、埃ひとつなく、ピカピカに輝いて見えた。 2001年のタリバン政権崩壊後、日本をはじめ各国は、メディアの育成を重点的に支援した。報告書には現在「アフガニスタンには77の民間テレビ局と各州に合計35チャンネルを有する国営テレビ局がある」と記されている。アフガニスタンの国造りの中でメディアが最も成功した分野だと評価されている。
放送制度と表現の自由
ただメディアの「表現の自由」という視点で見ると、アフガニスタンには今も制約が残る。2014年12月、「情報アクセス法」が成立したが、記者が警察や行政官庁で取材を拒否され暴力を受けるなど、現場ではトラブルが続いている。「情報アクセス法」の第15条で、国家主権、治安、国益に反する事項のほか、生命、財産、個人の尊厳が脅かされる危険のある情報を例外としているためとみられる。また、アフガニスタン憲法34条で「表現の自由は侵すことができない」とされるが、同3条で「いかなる法も神聖なイスラムの規定に反することはできない」とされ、メディア法は両者の矛盾の中での運用を強いられている。
表現の自由への制約はアフガニスタンに限らない。かつてスリランカのSLRCを訪問したことがある。2008年3月のことで、当時のスリランカは、タミル系の武装グループが追いつめられ国の東部を手離し、最後の砦として北部を拠点に闘争を激化させていた。政府は武装グループのいなくなった東部の開発を進め、メディアに取材させていた。「タミル人を追放するとこれだけ生活が良くなります」といういわば宣伝工作にメディアが利用されていることを知った。
スリランカの報告で翻訳者を困惑させたのは放送局を修飾する「State」や「National」の訳であった。「国営」とも訳せるが、執筆者のランシリラルさんに聞いたところ「公的な」「全国をカバーする」という意味であり、SLRCは「国営放送」ではなく「公共放送」であるとの返事であった。重要なのは「編集権の独立」である。報告書の中に「スリランカは、政治的な支配者に対して際限なく恭順を見せる国」であり、「政治的介入が、チャンネルの基準に影響を与えることが往々にしてある」という記述から、放送内容が政府の影響を受けていること間違いない。しかしSLRCは制度として独立した編集権を保証されているということなので、公共放送として位置付けられるだろう。
一方で中国では、放送は基本的に共産党や政府の方針、考え方を国民に伝え、指導する役目を担っているというが、ジャーナリストが当局に拘束されたり、番組が削除されたりした生々しい例が中国のテレビ事情報告に記されており、言論統制の実態が垣間見られる。
放送の制度を作り、表現の自由を獲得していくことは、時間のかかる作業であり、時には政権との格闘も必要になる。その例としてキルギスKTRKの報告を興味深く読んだ。キルギスは、他のすべての旧ソビエト社会主義共和国と同様に、1991年の国家主権の獲得を境に、質的に新しいメディアを形成していくことになる。当時、国営放送のみであったが、まもなく「報道の自由」を獲得する。しかし、KTRKは選挙時には政権の管理下におかれたり、政争が発生すると反体制派との戦いに利用されたりしたという。最終的に、2011年11月「公共テレビ・ラジオ放送協会法」の採択で、公共放送の法的な地位が確立された。国の独立から20年の年月がかかったが、報告書にある「民主化のプロセスは後戻りできない」という言葉は重い。
デジタル化と国際化の波
メディアの状況が国ごとに大きく違う一方で、共通の動きも見られる。その一つが、デジタル化とインターネットの普及による技術革新である。 地上デジタル化については、ヨーロッパのほぼ全域や日本、韓国などでは終了したが、アジアの多くの国では今まさにデジタル化の最中である。 また放送と通信の融合については、スリランカのすべてのテレビチャンネルが、情報提供にインターネットやソーシャルメディアを活用しているという。モンゴルではこの10年で放送局の数が3倍に増え、IPTVや携帯端末向けの放送サービスが加わり、市場の構図に変化が生じ始めているという。インターネットやソーシャルメディアは放送局としても無視できない存在になっている。
もう一つ、各局に共通して影響を与えているのが国際化である。スリランカでは、韓国、日本、中国などの海外ドラマが増え、現在テレビ番組の15%~20%が海外ドラマだという。モンゴルでも、自国制作のドラマが8%なのに対して、韓国製が29%、ロシア製が22%、アメリカ製が20%にのぼる。報告書には「テレビ市場で大量に供給されている韓国のコンテンツと競争できる地元制作のドラマを作ろうとしている」との記述がある。 一方、キルギスではロシア番組の人気が高く、キルギスの人は世界で起きている出来事を「モスクワの視点」で見る傾向にあるという。外国のものは30%未満という枠を設けているが、ロシア以外に、アメリカやイギリス、イラン、中国、韓国など多くの国の番組が放送されていていることが報告にあり、興味深い。
放送のネット展開と国際化は、メディアへの統制強化が目立つ中国でも見られる傾向である。いずれにしても、外国の番組の大量流入が、自国のコンテンツを圧迫する脅威と感じている様子が伺える。
日本の関わりと今後の課題
日本は、主に「技術供与」と「コンテンツの提供」で国際協力を行っている。アフガニスタンのRTAもスリランカのSLRCも日本の協力で最初の放送局の建物やスタジオが建設され、開局している。また、キルギスのKTRKのように、JICAが機材や周辺機器を提供したり、日本の専門家を派遣したりした例も多い。日本は、技術的な分野でアジアの放送局の発展に大きな貢献をしていると胸を張っていいのではないだろうか。
一方でコンテンツの展開に関しては、やはり出遅れた感じが否めない。驚かされたのは、スリランカからの報告で「おしん」が2012年に放送され大人気となったと書かれていることである。アジアの国々では、今もなお「おしん」が健在なのだろうか。喜ばしい半面、第2、第3の「おしん」が出てこないのは、さみしい。
「テレビは時代の産物である」と、本シンポジウムの趣旨説明に書かれているが、各国からの報告書を読み、まさに放送局は「その時代の国の姿を映す鏡である」と感じた。いずれの国でも、メディアは、政府からの圧力や、デジタル化・国際化の波を受け、一進一退を繰り返しながら発展している。
今回シンポジウムに参加したアフガニスタン、キルギス、モンゴル、スリランカの報告書から日本の国際協力への期待が感じられた。日本ではコンテンツの国際発信強化が課題とされているが、一方的に自国のコンテンツを海外に売り込もうという姿勢ではなく、相手のことを考え、相互にプラスになる貢献ができるのかどうかが重要となるだろう。そのためにも、テレビ番組を通じて国際交流を深め、相互理解の促進と開発途上国の発展に寄与する活動には意義がある。
参考文献
NHK放送文化研究所編(2016)「NHKデータブック世界の放送2016」NHK出版
歴史の中の放送局の現在地
放送局の発展は歴史の流れの中で理解する必要がある。アフガニスタンの報告の中に「テレビはアフガニスタンにおける最も一般的な放送プラットフォームである。アフガニスタンの64%近くが毎週テレビを見ている」と書かれている。何気ない文章であるが、私自身は感慨を持って読んだ。
実は、2002年10月末から11月にかけて、アフガニスタンRTAを訪ねたことがある。タリバン崩壊から1年後の放送局の様子を取材するためである。放送局を訪問すると、ライフル銃で武装した警備員を目にして驚いた。建物の壁いっぱいに残る弾痕が生々しい。屋上に設置された巨大なパラボラアンテナは砲撃を受けて一部が吹き飛んでいた。放送局周辺もまさに銃弾が行き交う戦場だった。
「タリバンがカブールを占拠し、一般市民のテレビ視聴を禁止するとともにテレビ局を閉鎖した。技術者、プロデューサー、ディレクター、司会者などテレビ局のスタッフは別の仕事を探すよう命令された。2001年タリバンのカブール撤退後、RTAは5年ぶりに放送を再開した。(報告書p.6)」
タリバン政権が崩壊した直後に放送を再開できたのはなぜか。現地取材で、RTAの技術スタッフがタリバンの目を盗んで定期的に放送局に入り、いつ放送が再開されても機材がきちんと作動するよう手入れを続けていたと聞いた。壊れた機材が山積みに保管されている部屋があり、そこから使える部品を取り出し、別の機材の補修に使っていた。日本が30年前に提供したスタジオや送出卓は、埃ひとつなく、ピカピカに輝いて見えた。 2001年のタリバン政権崩壊後、日本をはじめ各国は、メディアの育成を重点的に支援した。報告書には現在「アフガニスタンには77の民間テレビ局と各州に合計35チャンネルを有する国営テレビ局がある」と記されている。アフガニスタンの国造りの中でメディアが最も成功した分野だと評価されている。
放送制度と表現の自由
ただメディアの「表現の自由」という視点で見ると、アフガニスタンには今も制約が残る。2014年12月、「情報アクセス法」が成立したが、記者が警察や行政官庁で取材を拒否され暴力を受けるなど、現場ではトラブルが続いている。「情報アクセス法」の第15条で、国家主権、治安、国益に反する事項のほか、生命、財産、個人の尊厳が脅かされる危険のある情報を例外としているためとみられる。また、アフガニスタン憲法34条で「表現の自由は侵すことができない」とされるが、同3条で「いかなる法も神聖なイスラムの規定に反することはできない」とされ、メディア法は両者の矛盾の中での運用を強いられている。
表現の自由への制約はアフガニスタンに限らない。かつてスリランカのSLRCを訪問したことがある。2008年3月のことで、当時のスリランカは、タミル系の武装グループが追いつめられ国の東部を手離し、最後の砦として北部を拠点に闘争を激化させていた。政府は武装グループのいなくなった東部の開発を進め、メディアに取材させていた。「タミル人を追放するとこれだけ生活が良くなります」といういわば宣伝工作にメディアが利用されていることを知った。
スリランカの報告で翻訳者を困惑させたのは放送局を修飾する「State」や「National」の訳であった。「国営」とも訳せるが、執筆者のランシリラルさんに聞いたところ「公的な」「全国をカバーする」という意味であり、SLRCは「国営放送」ではなく「公共放送」であるとの返事であった。重要なのは「編集権の独立」である。報告書の中に「スリランカは、政治的な支配者に対して際限なく恭順を見せる国」であり、「政治的介入が、チャンネルの基準に影響を与えることが往々にしてある」という記述から、放送内容が政府の影響を受けていること間違いない。しかしSLRCは制度として独立した編集権を保証されているということなので、公共放送として位置付けられるだろう。
一方で中国では、放送は基本的に共産党や政府の方針、考え方を国民に伝え、指導する役目を担っているというが、ジャーナリストが当局に拘束されたり、番組が削除されたりした生々しい例が中国のテレビ事情報告に記されており、言論統制の実態が垣間見られる。
放送の制度を作り、表現の自由を獲得していくことは、時間のかかる作業であり、時には政権との格闘も必要になる。その例としてキルギスKTRKの報告を興味深く読んだ。キルギスは、他のすべての旧ソビエト社会主義共和国と同様に、1991年の国家主権の獲得を境に、質的に新しいメディアを形成していくことになる。当時、国営放送のみであったが、まもなく「報道の自由」を獲得する。しかし、KTRKは選挙時には政権の管理下におかれたり、政争が発生すると反体制派との戦いに利用されたりしたという。最終的に、2011年11月「公共テレビ・ラジオ放送協会法」の採択で、公共放送の法的な地位が確立された。国の独立から20年の年月がかかったが、報告書にある「民主化のプロセスは後戻りできない」という言葉は重い。
デジタル化と国際化の波
メディアの状況が国ごとに大きく違う一方で、共通の動きも見られる。その一つが、デジタル化とインターネットの普及による技術革新である。 地上デジタル化については、ヨーロッパのほぼ全域や日本、韓国などでは終了したが、アジアの多くの国では今まさにデジタル化の最中である。 また放送と通信の融合については、スリランカのすべてのテレビチャンネルが、情報提供にインターネットやソーシャルメディアを活用しているという。モンゴルではこの10年で放送局の数が3倍に増え、IPTVや携帯端末向けの放送サービスが加わり、市場の構図に変化が生じ始めているという。インターネットやソーシャルメディアは放送局としても無視できない存在になっている。
もう一つ、各局に共通して影響を与えているのが国際化である。スリランカでは、韓国、日本、中国などの海外ドラマが増え、現在テレビ番組の15%~20%が海外ドラマだという。モンゴルでも、自国制作のドラマが8%なのに対して、韓国製が29%、ロシア製が22%、アメリカ製が20%にのぼる。報告書には「テレビ市場で大量に供給されている韓国のコンテンツと競争できる地元制作のドラマを作ろうとしている」との記述がある。 一方、キルギスではロシア番組の人気が高く、キルギスの人は世界で起きている出来事を「モスクワの視点」で見る傾向にあるという。外国のものは30%未満という枠を設けているが、ロシア以外に、アメリカやイギリス、イラン、中国、韓国など多くの国の番組が放送されていていることが報告にあり、興味深い。
放送のネット展開と国際化は、メディアへの統制強化が目立つ中国でも見られる傾向である。いずれにしても、外国の番組の大量流入が、自国のコンテンツを圧迫する脅威と感じている様子が伺える。
日本の関わりと今後の課題
日本は、主に「技術供与」と「コンテンツの提供」で国際協力を行っている。アフガニスタンのRTAもスリランカのSLRCも日本の協力で最初の放送局の建物やスタジオが建設され、開局している。また、キルギスのKTRKのように、JICAが機材や周辺機器を提供したり、日本の専門家を派遣したりした例も多い。日本は、技術的な分野でアジアの放送局の発展に大きな貢献をしていると胸を張っていいのではないだろうか。
一方でコンテンツの展開に関しては、やはり出遅れた感じが否めない。驚かされたのは、スリランカからの報告で「おしん」が2012年に放送され大人気となったと書かれていることである。アジアの国々では、今もなお「おしん」が健在なのだろうか。喜ばしい半面、第2、第3の「おしん」が出てこないのは、さみしい。
「テレビは時代の産物である」と、本シンポジウムの趣旨説明に書かれているが、各国からの報告書を読み、まさに放送局は「その時代の国の姿を映す鏡である」と感じた。いずれの国でも、メディアは、政府からの圧力や、デジタル化・国際化の波を受け、一進一退を繰り返しながら発展している。
今回シンポジウムに参加したアフガニスタン、キルギス、モンゴル、スリランカの報告書から日本の国際協力への期待が感じられた。日本ではコンテンツの国際発信強化が課題とされているが、一方的に自国のコンテンツを海外に売り込もうという姿勢ではなく、相手のことを考え、相互にプラスになる貢献ができるのかどうかが重要となるだろう。そのためにも、テレビ番組を通じて国際交流を深め、相互理解の促進と開発途上国の発展に寄与する活動には意義がある。
参考文献
NHK放送文化研究所編(2016)「NHKデータブック世界の放送2016」NHK出版
田中 孝宜
NHK放送文化研究所 上級研究員
上智大学外国語学部英語学科
英国リーズ大学 国際社会文化研究修士
名古屋大学大学院 国際開発学博士
1988年、日本放送協会入局。2011年より現職。
主な研究テーマは、災害報道、国際協力、公共放送の世界的潮流など。