第21回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2013年3月14日~9月15日
津波防災とアジアの放送局
インド洋大津波の衝撃から -アジア放送局の災害への取り組み
東日本大震災により2004年12月に起きたインド洋大津波は記憶から急速に遠ざかっているが、インド洋大津波はアジアの放送局に巨大災害に対して殆ど無防備だったことを反省させ、減災のために放送としてどのような役割があるのかを問い直した。アジア各国が、津波や大規模災害に備えるきっかけとなった9年前の衝撃をまず、振り返ってみたい。
インド洋大津波の問いかけたもの
04年の大津波は震源に近いインドネシアだけでなく周辺のタイやインド、スリランカに加え、アフリカ東海岸にまで被害が及んだことが大きな特徴であった。また、クリスマス 休暇を東南アジアの海岸で過ごしていた欧米人も多く、津波というものの恐ろしさを全世界的な共通認識とした。この大津波の映像は、1990年ころから世界的にビデオカメラが普及したこともあり、数々の動く映像で記録され、その脅威が共有されたのも特徴であろう。タイの保養地プーケットでは丘の上から撮影していたビデオに、津波来襲を前に海岸の水が引いて底が露わになり、観光客がその上を歩いたり、現地の人が干上がった魚を捕まえたりする映像が記録されていた。やがて押し寄せる波にたくさんの犠牲者がでる。インドネシア・アチェで結婚式のカメラマンが撮影したビデオには真っ黒な濁流が大通りをたどって町を襲い、車や家具が流されていく様子が映っていた。スリランカ南部の町では海沿いにあるバスのターミナルがあっという間に津波に飲まれてしまう。
最初にこの津波の被害の大きさに接したとき、日本で災害取材を体験したものとして、地震の揺れを感じてから津波の到達まで時間があるのに、何故、防御の態勢を取らなかったのかと思わずにはいられなかった。映像を見ていると観光客たちは潮が引いた後、退避できたはずではなかったのかとか、スリランカに到達するまでは一昼夜もかかったのになぜ警戒態勢をとらなかったのかといった素朴な疑問が湧いた。また、津波が町を襲うときは、さまざまなものを運び、真っ黒に汚れていることも映像でよく理解できた。
ABUニュース部会の緊急ワークショップ
私は03年まで10年間、ABU(Asia-Pacific Broadcasting Union アジア太平洋放送連合=アジア太平洋の約50の国と地域の放送機関などで組織。本部はマレーシア・クアラルンプール)のニュース部会(News Group)議長を務めていたこともあり、ABUのニュース局と協議し、地震から2ヶ月後の05年2月、災害に関する特別ワークショップをNHKで開くことにした。日本が培った震災報道のノウハウをメンバーに伝え、大きな災害が起きた時、放送がどのように役立ちうるのか知識を共有し、お互いに協力しあえればと考えた。ABUで毎日ニュース素材を交換しているアジアビジョン(Asiavision)のメンバーなど15局を中心にニュースの担当者40人余りが参加し、直接被災したインドネシア国営テレビ(TVRI)、スリランカ国営テレビ(SLRC)、インド国営テレビ(DDI)それにタイ Ch11のプーケット支局もその中に含まれていた。
このワークショップでは、NHKの災害報道体制や、震度5以上の地震到来を直前に速報する緊急地震速報(Earthquake Early Warning)の仕組みを説明し、気象庁や静岡県沼津市に完成した津波防潮水門などを視察した。なかでも、力を入れたのは、気象庁との間にいわばホットラインがあり、地震などの情報は即時に放送局に送られ、マニュアルに従って 冷静に視聴者に伝えるという姿勢だった。また、ニュースの現場では、全国の放送局で泊り勤務の職員が、放送終了後、毎晩のように訓練を実施し、いざという時に備える態勢をとっていることだった。これにはニュースやアナウンサーだけでなく、技術職員も参加する組織横断的な態勢をとる必要も強調した。報道局の気象・災害センターの専門記者らからは、関東大震災を忘れないよう、毎年震災の日には日本全国で住民が参加した防災運動が行われることなどに言及があり、寺田寅彦の「災害は忘れたころにやってくる」ということばが災害への備えでいちばんの戒めであるという説明があった。常日頃から、災害に対する準備と心構えが放送局には必要であるということをくり返した。
メンバーの緊急時対応
大津波を体験したメンバーからは、どのような対応をしたのか具体的に報告してもらった。スリランカの放送局は、地震の翌日の朝、津波が来るのを知らずに外に取材に出たクルーから、海面が高くなりそのまま陸に向かってきたという情報を聞き、警察や気象機関に確認をしたが、要領を得ないうちに被害は拡大してしまったという。また、インドネシアのメンバーは、首都ジャカルタの気象庁から地震と津波に関する情報(太平洋津波警報センター情報)を得たが、現地のアチェへの通信ラインが途絶して伝えられなかったという。衛星電話もあったが、使用には高額の通話料がかかるので使えなかったということで、緊急時の対応に不備があったことを自戒していた。しかし、大津波のあとは、教訓をもとに気象当局と連絡をより密にするようになったという。インドやタイの放送局は、気象機関から津波情報を受けとるシステムがなく、もし、そうした体制をとっていれば放送を通じて避難を呼びかけられたはずだと述べた。また、スリランカでは、津波が2千数百年前の仏教伝播の時にあったという伝説でよく知られているが、そのあと殆ど記録がなく、防備の態勢は皆無であったという。日本では放送局が地震など災害に備えるのは当然だと考えるが、このように、アジア各国で放送局は災害への対応が十分ではなかった。とくにスリランカのように2千年に一度の災害とあれば、津波だけを想定した準備というのは現実的ではないことも理解できた。スリランカ国営テレビには泊り態勢がないことも判明し、NHKとしてはまず24時間の取材態勢を整え、災害は緊急取材のひとつとしてとらえるよう助言した。国営テレビはこれを機に泊り態勢を作り、緊急報道のためアナウンサーも呼び出す態勢を整えた。
また、その直後にパキスタン北東部カシミール地方で起きたパキスタン地震(M7.6)では、国営テレビのローカル局が被害をうけ放送を出せなくなったが、NHKでは専門家を派遣し、耐震構造の局舎を建設するよう日本のODAなどを活用するよう助言した。これは実現には至っていない。JICA(国際協力機構)の協力を得て、地震常襲国トルコの国営テレビ(TRT)とインターネットを通じ、地震報道の担当者が情報交換も行った。
インド洋津波の教訓を生かすために
太平洋で起きた津波に関してはハワイにある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)が基点となり、太平洋沿岸に設置された潮位計や沖合のブイを通じて得られた情報から津波の大きさや到達地域を予測している。インド洋については、インド洋津波を機にユネスコ(UNESCO)政府間海洋学委員会(IOC: Intergovernmental Oceanographic Commission)が中心となり日本の気象庁なども協力して、津波監視システムを整備し、11年からインドネシア、インド、オーストラリアで津波の警戒システムの運用を始めた。3カ国の気象機関が津波情報を出し、各国の放送機関やインド洋沿岸諸国に津波に関する情報を提供する体制が整った。インド洋沿岸を襲ったあの巨大津波の教訓がようやく活かされたと言える。
一方、スリランカのように津波被害は稀にしかない国や、海を持たない国にとって、津波が(当分は)ないからといって災害への対応を疎かにしては大災害の教訓が生かされたことにはならない。とくに、近年の地球温暖化により氷河が溶けだした水が大量にせき止められた湖が決壊したり、集中豪雨が多発するようになったりして、新しい大災害が起こる可能性が生まれている。アジアの放送局に対してわれわれは、その国で起こりうる災害のかたちや規模を想定し、そのためにはどこから適格な情報を得て、どのように素早く伝えるシステムを作るかが重要だと伝えてきた。具体的には、気象機関や土砂災害などを管轄する運輸機関などとホットラインを設けるのが第一であるとアドバイスしてきた。また、ABUの技術委員会を通じて、NHKでは緊急警報放送(Emergency Warning Broadcast System)を災害情報の伝播システムに組み入れることも可能だと提案してきた。地震など緊急事態の場合、スイッチを切ってあるテレビやラジオの電源を電波の指示によりオンにして情報を流す仕組みで、NHKでは正午のニュース前に時折、ピロピロと警戒音がなる試験放送を実施している。タイやマレーシア、ベトナムなど8カ国が関心を示し、 国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の支援を受けて各国で実用が可能か検討を進めている。このほか、ABUは UNESCAPの支援を得て、気象機関と放送局の連携を強めるよう、バングラデシュやインド、ミャンマー、フィリピンなどアジア10カ国でセミナーを開く計画で、NHKにも協力を要請している。
減災という視点からは、一度に多くの人に情報を伝達できる放送は、突然の災害から身を守ることや避難など一斉呼び掛けに適しており、震災後の住民の安否情報や救援サービスなど細かな情報を伝達するのに適したネットとともに、災害時には十分に活用されるべきである。大きな災害の時にはNHKの視聴率が跳ね上がるが、正確で速やかな災害報道は放送にとって重要な任務であり、公共放送への信頼の源のひとつともなっている。日本は津波以外にも台風、地震、集中豪雨、火山災害など様々な自然災害があり、NHKは多くの経験を積み上げてきた。減災という視点から放送に何ができるか、これからも世界の放送局と情報を共有していきたい。
インド洋大津波の問いかけたもの
04年の大津波は震源に近いインドネシアだけでなく周辺のタイやインド、スリランカに加え、アフリカ東海岸にまで被害が及んだことが大きな特徴であった。また、クリスマス 休暇を東南アジアの海岸で過ごしていた欧米人も多く、津波というものの恐ろしさを全世界的な共通認識とした。この大津波の映像は、1990年ころから世界的にビデオカメラが普及したこともあり、数々の動く映像で記録され、その脅威が共有されたのも特徴であろう。タイの保養地プーケットでは丘の上から撮影していたビデオに、津波来襲を前に海岸の水が引いて底が露わになり、観光客がその上を歩いたり、現地の人が干上がった魚を捕まえたりする映像が記録されていた。やがて押し寄せる波にたくさんの犠牲者がでる。インドネシア・アチェで結婚式のカメラマンが撮影したビデオには真っ黒な濁流が大通りをたどって町を襲い、車や家具が流されていく様子が映っていた。スリランカ南部の町では海沿いにあるバスのターミナルがあっという間に津波に飲まれてしまう。
最初にこの津波の被害の大きさに接したとき、日本で災害取材を体験したものとして、地震の揺れを感じてから津波の到達まで時間があるのに、何故、防御の態勢を取らなかったのかと思わずにはいられなかった。映像を見ていると観光客たちは潮が引いた後、退避できたはずではなかったのかとか、スリランカに到達するまでは一昼夜もかかったのになぜ警戒態勢をとらなかったのかといった素朴な疑問が湧いた。また、津波が町を襲うときは、さまざまなものを運び、真っ黒に汚れていることも映像でよく理解できた。
ABUニュース部会の緊急ワークショップ
私は03年まで10年間、ABU(Asia-Pacific Broadcasting Union アジア太平洋放送連合=アジア太平洋の約50の国と地域の放送機関などで組織。本部はマレーシア・クアラルンプール)のニュース部会(News Group)議長を務めていたこともあり、ABUのニュース局と協議し、地震から2ヶ月後の05年2月、災害に関する特別ワークショップをNHKで開くことにした。日本が培った震災報道のノウハウをメンバーに伝え、大きな災害が起きた時、放送がどのように役立ちうるのか知識を共有し、お互いに協力しあえればと考えた。ABUで毎日ニュース素材を交換しているアジアビジョン(Asiavision)のメンバーなど15局を中心にニュースの担当者40人余りが参加し、直接被災したインドネシア国営テレビ(TVRI)、スリランカ国営テレビ(SLRC)、インド国営テレビ(DDI)それにタイ Ch11のプーケット支局もその中に含まれていた。
このワークショップでは、NHKの災害報道体制や、震度5以上の地震到来を直前に速報する緊急地震速報(Earthquake Early Warning)の仕組みを説明し、気象庁や静岡県沼津市に完成した津波防潮水門などを視察した。なかでも、力を入れたのは、気象庁との間にいわばホットラインがあり、地震などの情報は即時に放送局に送られ、マニュアルに従って 冷静に視聴者に伝えるという姿勢だった。また、ニュースの現場では、全国の放送局で泊り勤務の職員が、放送終了後、毎晩のように訓練を実施し、いざという時に備える態勢をとっていることだった。これにはニュースやアナウンサーだけでなく、技術職員も参加する組織横断的な態勢をとる必要も強調した。報道局の気象・災害センターの専門記者らからは、関東大震災を忘れないよう、毎年震災の日には日本全国で住民が参加した防災運動が行われることなどに言及があり、寺田寅彦の「災害は忘れたころにやってくる」ということばが災害への備えでいちばんの戒めであるという説明があった。常日頃から、災害に対する準備と心構えが放送局には必要であるということをくり返した。
メンバーの緊急時対応
大津波を体験したメンバーからは、どのような対応をしたのか具体的に報告してもらった。スリランカの放送局は、地震の翌日の朝、津波が来るのを知らずに外に取材に出たクルーから、海面が高くなりそのまま陸に向かってきたという情報を聞き、警察や気象機関に確認をしたが、要領を得ないうちに被害は拡大してしまったという。また、インドネシアのメンバーは、首都ジャカルタの気象庁から地震と津波に関する情報(太平洋津波警報センター情報)を得たが、現地のアチェへの通信ラインが途絶して伝えられなかったという。衛星電話もあったが、使用には高額の通話料がかかるので使えなかったということで、緊急時の対応に不備があったことを自戒していた。しかし、大津波のあとは、教訓をもとに気象当局と連絡をより密にするようになったという。インドやタイの放送局は、気象機関から津波情報を受けとるシステムがなく、もし、そうした体制をとっていれば放送を通じて避難を呼びかけられたはずだと述べた。また、スリランカでは、津波が2千数百年前の仏教伝播の時にあったという伝説でよく知られているが、そのあと殆ど記録がなく、防備の態勢は皆無であったという。日本では放送局が地震など災害に備えるのは当然だと考えるが、このように、アジア各国で放送局は災害への対応が十分ではなかった。とくにスリランカのように2千年に一度の災害とあれば、津波だけを想定した準備というのは現実的ではないことも理解できた。スリランカ国営テレビには泊り態勢がないことも判明し、NHKとしてはまず24時間の取材態勢を整え、災害は緊急取材のひとつとしてとらえるよう助言した。国営テレビはこれを機に泊り態勢を作り、緊急報道のためアナウンサーも呼び出す態勢を整えた。
また、その直後にパキスタン北東部カシミール地方で起きたパキスタン地震(M7.6)では、国営テレビのローカル局が被害をうけ放送を出せなくなったが、NHKでは専門家を派遣し、耐震構造の局舎を建設するよう日本のODAなどを活用するよう助言した。これは実現には至っていない。JICA(国際協力機構)の協力を得て、地震常襲国トルコの国営テレビ(TRT)とインターネットを通じ、地震報道の担当者が情報交換も行った。
インド洋津波の教訓を生かすために
太平洋で起きた津波に関してはハワイにある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)が基点となり、太平洋沿岸に設置された潮位計や沖合のブイを通じて得られた情報から津波の大きさや到達地域を予測している。インド洋については、インド洋津波を機にユネスコ(UNESCO)政府間海洋学委員会(IOC: Intergovernmental Oceanographic Commission)が中心となり日本の気象庁なども協力して、津波監視システムを整備し、11年からインドネシア、インド、オーストラリアで津波の警戒システムの運用を始めた。3カ国の気象機関が津波情報を出し、各国の放送機関やインド洋沿岸諸国に津波に関する情報を提供する体制が整った。インド洋沿岸を襲ったあの巨大津波の教訓がようやく活かされたと言える。
一方、スリランカのように津波被害は稀にしかない国や、海を持たない国にとって、津波が(当分は)ないからといって災害への対応を疎かにしては大災害の教訓が生かされたことにはならない。とくに、近年の地球温暖化により氷河が溶けだした水が大量にせき止められた湖が決壊したり、集中豪雨が多発するようになったりして、新しい大災害が起こる可能性が生まれている。アジアの放送局に対してわれわれは、その国で起こりうる災害のかたちや規模を想定し、そのためにはどこから適格な情報を得て、どのように素早く伝えるシステムを作るかが重要だと伝えてきた。具体的には、気象機関や土砂災害などを管轄する運輸機関などとホットラインを設けるのが第一であるとアドバイスしてきた。また、ABUの技術委員会を通じて、NHKでは緊急警報放送(Emergency Warning Broadcast System)を災害情報の伝播システムに組み入れることも可能だと提案してきた。地震など緊急事態の場合、スイッチを切ってあるテレビやラジオの電源を電波の指示によりオンにして情報を流す仕組みで、NHKでは正午のニュース前に時折、ピロピロと警戒音がなる試験放送を実施している。タイやマレーシア、ベトナムなど8カ国が関心を示し、 国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の支援を受けて各国で実用が可能か検討を進めている。このほか、ABUは UNESCAPの支援を得て、気象機関と放送局の連携を強めるよう、バングラデシュやインド、ミャンマー、フィリピンなどアジア10カ国でセミナーを開く計画で、NHKにも協力を要請している。
減災という視点からは、一度に多くの人に情報を伝達できる放送は、突然の災害から身を守ることや避難など一斉呼び掛けに適しており、震災後の住民の安否情報や救援サービスなど細かな情報を伝達するのに適したネットとともに、災害時には十分に活用されるべきである。大きな災害の時にはNHKの視聴率が跳ね上がるが、正確で速やかな災害報道は放送にとって重要な任務であり、公共放送への信頼の源のひとつともなっている。日本は津波以外にも台風、地震、集中豪雨、火山災害など様々な自然災害があり、NHKは多くの経験を積み上げてきた。減災という視点から放送に何ができるか、これからも世界の放送局と情報を共有していきたい。
佐藤 俊行
NHK放送総局 特別主幹
1948年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
在学中にアメリカ留学。73年NHKに入り社会部、国際部記者、バンコク特派員、マニラ、ソウル、クアラルンプル各支局長を経て、99年国際部長としてアフガン、イラク戦争などの取材に係わった。2003年から国際放送局長としてNHKのテレビ国際放送拡充にあたった。08年から現職、ABU(アジア太平洋放送連合)やPBI(国際公共放送)のNHK事務局統括を務めている。93年から03年まで、ABUニュース部会議長。