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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第21回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2013年3月14日~9月15日

津波防災とアジアの放送局

災害報道における放送局の役割 -インドネシアの津波報道から得た教訓

Frederik Ndolu
インドネシアサツ・コミュニケーション会長

1. アチェ津波による損害

1-1. はじめに

メディアの社会的な役割およびメディアが個人の生活に及ぼす影響についてはいつも高い関心が寄せられている。集団としても個人としても、我々はマスコミに大きく依存するようになっている。

人々が災害について知るのはほとんどの場合、報道機関を通じてである。差し迫ってくる災害に対して警報や緊急避難の呼びかけを出すうえでラジオやテレビがいかに重要かは疑問の余地がない。被災地から離れたところに住む人々が災害について抱くイメージはラジオやテレビの報道によって形作られる。メディアの報道がいつも好ましい影響や結果を生み出すとは限らないとはいえ、災害の可能性や危険度、災害からくるさまざまな問題、さらには緊急事態にどのように対処すればよいかを人々が認識するのはメディアを通じてである。

アチェは2004年に発生した巨大なインド洋地震の震源地にもっとも近く位置していた。この地震が引き起こした津波によって、州都のバンダ・アチェをはじめアチェの沿岸は壊滅的な打撃を受けた。この巨大海底地震が発生したのは12月26日午前8時であり、海岸では多くの人々が散歩をしたり、スポーツを楽しんでいたりした。

マグニチュード9.1のこの地震は地震計にこれまで記録されたなかで3番目の大きさであり、断層はこれまで観察されたなかで最長、8.3分から10分に渡って続いた。地球全体が1cm震動し、遠く離れたアラスカでも余震が発生した。震源はシメルー島(Simeulue)とインドネシア本島の間だった。この地震は学会ではスマトラ・アンダマン地震と呼ばれている。この地震から発生した津波は「2004年インド洋津波」、「南アジア津波」、「インドネシア津波」、「ボクシングデー津波」などさまざまな名称で呼ばれているが、ここでは「アチェ津波」(Tsunami Aceh)と呼ぶことにする。

米国地質調査所(U.S. Geological Survey)によると、アチェ津波による死者は227,898人であり、14か国にまたがっている。沿岸の村々は最大30メートルの高さの波に呑み込まれた。これは歴史上10番目に犠牲者が多かった地震であり、単一の津波としては史上最悪であった。被害がもっとも大きかったのはインドネシアであり、犠牲者の数はおよそ170,000人と推定される。

救援組織の推定によれば、犠牲者の3分の1は子供である。こうした結果になったのは、被災地の多くでは人口に占める子供の割合が高かったうえ、押し寄せてくる波に対して子供たちが抵抗できなかったためと思われる。貧困と不公正さをなくすために活動している国際団体のオックスファム(Oxfam)によれば、女性の犠牲者が男性の4倍にも達する地域もある。海岸で漁船が帰ってくるのを待っていたり、家で子供を守っていたりしたためであろう。

被害がもっとも大きかった国はインドネシアであり、スリランカ、インド、タイがこれに続く。被災した国や人々の窮状に世界は人道的な支援をもって応えた。2004年、世界各地からの義援金は140億USドルに達した。スリランカ、インドネシア、モルディブでは非常事態が宣言された。国連のコフィ・アナン事務総長は「再建にはおそらく5年から10年かかるだろう」と述べた。政府機関も非政府組織も最終的な死者の数は伝染病などのせいで倍になるのではないかとおそれ、大規模な人道支援に乗り出した。幸い、このおそれは現実のものとはならなかった。

インドネシアでは、多くの人命が奪われ、有形無形の多くの損害がもたらされた。国家調整庁(Bandan Koordinasi Nasional)は損害の総額を45億USドルとしている。このうち、通信関連のインフラの損害は2200万ドル(損傷が190万ドル、喪失が300万ドル)になる。人的な被害は死者100,258人、行方不明者132,000人、負傷者1,016人であり、417,124人が家を失った。130万戸の家屋や建造物、8つの港、4つの燃料保管庫、公衆衛生システムの92%、120kmの道路、18の橋が損傷を被った。

1-2. 放送局の役割

インドネシアでは放送局が重要な役割を担った。メディア、とりわけ放送局は政府組織と一般社会をつなぐ橋となった。すばやい災害報道によって多くの人命が救われた。繰り返される地震や津波に対してもいちはやく警報を出すことができた。災害のあとでは、放送局は被害の爪痕を広く知らせるともに、生存者が利用できる避難手段を伝えることもできた。復旧と再建のプロジェクトや活動も伝えている。最近では、津波に関するリサーチや研究開発の報道にも力が入っている。たとえば、RRI (Radio of Republic of Indonesia:インドネシア共和国ラジオ)は、「ラジオをベースとした災害マネジメント」という番組を通じて、緊急テントの様子を生々しく伝えた。地震が発生してから24時間が経過していなうちに、RRIは実際に災害のレポートを放送した。続いて RRIは緊急用スタジオを利用し、生存者を楽しませるための別の番組を放送した。この番組は「トラウマからの癒しの番組」と呼ばれた。

災害の放送にあたってメディアが苦労したのは、刻々と変化する状況にどう対応するかであった。情報の収集、放送、伝播に要するコストは上昇し続けた。他局との競争にうち勝つには、コンピュータ、カラー印刷機、衛星テレビ受信用アンテナ、ミニカムなどの精巧で高価な設備を購入せざるをえないうえ。災害を報道するための創造的な作業が必要だった。視聴者を逃がさないために、テレビのプロデューサーは、「トラッシュTV」、シミュレーション、リアルな出来事の再現映像など、いろいろな新しいフォーマットやテクニックを試した(Cook, et al., 1992)。

「グローバル・ビレッジ」となった今日の世界では、遠く離れた異国のどこかで発生したごくありふれた出来事までがテレビの画面にもたらされる。警察無線スキャナと同様、ニュースサービスは数多くの新聞社や放送局の編集室にとって次の新しいニュースのヒントとなる。アチェ津波のような継続的で大規模な出来事では、ニュースサービスは、ニュースルームにいる編集者やライター(彼らはニュースのストーリーに対してそれぞれ自分たち独自の見解を持っている)にとって仮想の「電信電話網」となる。災害のあらゆる側面を伝えるうえで、メディアは重要な役割を担う。メディアのすばやく広範な報道は、出来事が国際的に注目され、さまざま介入を呼び寄せる引き金となる。国の内外を問わず、ボランティアや義援金がニュースを通じて一定の方向に導かれる。しかし、災害時にはいくつかの問題報道も見られた。


2. 電子メディアを通じた災害報道

2-1. 報道が住民に与える影響

メトロTV放送のロニ・パンゲンガー(Roni Pangengah)氏はあるセミナーで「メトロTVはアマチュアのビデオショーの先駆けとなった」と述べた。このビデオショーは『ワイドショット』(Wide Shot)とタイトルでテレビ放映されている。

『ワイドショット』のプロデューサーの説明によれば、ビデオはまずメトロTVで放映され、またたくまに世界中に流れた。この民放テレビ番組では「市民ジャーナリスト」というコンセプトが特別な役割を果たしている。これは、普通の人々がテレビ記者と同じように活動するというコンセプトである。

アチェ津波や他の自然災害のような特別な出来事を記録する機会がある人はそう多くはないが、西ジャワ州バンドンのパジャジャラン大学(University of Padjadjaran)の医学生であるカット・プトリ(Cut Putri)氏はたまたまそういう機会を持った(Atjeh Cyber Warrior, 2011)。地震が発生したとき、プトリ氏は親類の家で朝食をとっていた。即座にハンディカムを手に取ったプトリ氏は、バンダ・アチェのジャラン・ラム・ジャメ(Jalan Lam Jame)の海岸から約1km離れた親類宅の2階から、押し寄せてくる波の猛烈な動きを撮影した。3日後、カット・プトリ氏が撮影したこのビデオはメトロTVで放映された。この映像は視聴者にアチェ津波のものすごさを伝えるものだった。プトリ氏のビデオはメトロTVだけでなく、CNNやBBCなどの海外のテレビでも流された。プトリ氏は津波がアチェに押し寄せて出血している女性の映像までも記録していた。「市民ジャーナリズム」が論議されるようになったのは、メトロTVによるこれらの動画の放映をきっかけとする。市民ジャーナリズムとは、いろいろなメディアを介したニュースと情報の収集、報道、分析、伝播のプロセスに普通の市民が参加することを意味する。

インドネシア共和国ラジオ(RRI:Radio of Republic of Indonesia)のような国営放送局はアチェの被災地域にレポーターを派遣し、ライブの映像を流した。RRIのレポーター、ラーマン・リバイ(Rahman Rivai)氏は「問題はコスト」と指摘する。RRIはリバイ氏とその他のスタッフをジャカルタの本社から現地に派遣したが、そのコストは5日間で600万ルピア(約600USドル)になった。これらは食事、宿、交通、放送にかかった費用である。派遣チームは戦地に入ったかのような印象を持った。選択肢は2つに1つ、すなわち生きるか死ぬかだった。チームは全力をかけてアチェからインドネシア全国にメッセージを伝え、被災地の様子を報告した。チームはランバロ・アチェ・ベザール(Lambaro Aceh Besar)にあるRRIラジオ局の衛星モバイル放送を利用した。

問題は現場へのアクセスが国家安全上の理由から制限されていたことであった。アチェは震災以前から戒厳令下に置かれていた。しかし、ある民間の放送局は制限された地域からの報告をするためという自らの利益のために犠牲者を利用した。
アチェでの5日間の滞在を終えたラーマン・リバイ氏はいったんジャカルタに帰ったあと、別のスタッフとともに再びアチェを訪れた。RRIのマイクロフォンを利用して犠牲者を救う一助となることができると考えたからである。

2-2. 「CNN効果」の理論

「CNN効果」とは、政治的危機、大事故、災害の際にメディアが発揮する影響力を指す。もともとは冷戦時代にCNN(Cable News Network)が米国の外交政策に及ぼした影響を指す用語だったが、同様の現象はアチェ津波でも起こっている。メディアの報道とインターネット経由の寄付に関する統計的な調査によると、夕方のテレビニュースで津波に関する報道が1分増えるごとにその日の義援金が13.2%増えている。また、ニューヨークタイムズとウオールストリートジャーナルで津波報道が700ワード増えると、1日あたりの義援金が18.2%増えている(Brown & Minty, 2006)。

「CNNシンドローム」とは、局所的な災害がテレビの全国放送(特にニュースチャンネルを通じて)で伝えられることを指す。「カムコーダー政治」(Camcorder politics)とは、特定の地方に災害が発生したとき、その地方からの要請がなくても国の指導者がその災害に反応することを意味する。メディアから批判的に報道されることを避けるために、政治家や役人は「ちゃんと対応している」ことを示そうとする。

実際、災害時には多くの「有力政治家」が突然テレビに登場する。災害はカムコーダー政治のターゲットとなり、政治家だけでなくその他の有名人も災害現場でテレビに映ろうとする。同情心があることを披露し、すばやく反応していることを国民に知らせたいためである。こうすれば、人気も高まるし、気前のよさを印象づけることができる。

メディアについて言えば、差し迫った事態や緊急の事態、そしてときには危険な事態を伝えることが現場の記者の目的になりがちである。残念ながら、こうした状況に押されて、ジャーナリズムの責任を踏み外すケースも見られる。センセーショナルなニュース、人々の注目を引くニュース、議論の的となるようなニュースばかりを追い求めるメディアも存在する。こうしたメディアによるニュースの収集と報道は、政治的にやっかいな問題を引き起こし、危機管理の妨げとなる。

2-3. メトロTVの場合

メトロTVのニュースは「視聴者にわかりやすく」をモットーとしている。津波関連の番組は刻々状況に応じて更新された。新しいニュースを毎時間放送し、重要な出来事が発生したときには予定の番組を変更してニュースを流した。災害の深刻さを伝えるために、情報、ナレーション、音声、映像を注意深く選択し、編集した。

大半のインドネシア人にとってアチェ津波は未曾有の災害だった。2004年以前には、大災害といえば列車の衝突や火山の噴火ぐらいだったが、アチェ津波はこれらをはるかに越えていた。

CNN効果はインドネシアでも発生した。ニュースチャンネルのメトロTVは、インドネシアにおけるCNNスタイルの報道の先駆けと見なされる。メトロTVの報道は深刻な損害と死を浮き彫りにした。ショックを受けてうつろな目で茫然と辺りを見回している人々の映像も流された。自分たちの家があるはずの場所でじっと立ちつくす人の目からゆっくりと落ちてくる涙。椰子の木がほんの数本残っただけの空っぽの海辺の映像は、海岸のすべてが海に呑み込まれ、ほとんど何も残っていない現実を伝えた。メトロTVは、店舗が破壊され家屋が崩壊した様子を伝え、天井や壁、建造物の土台が砂地に散乱している映像を流した。

予定されていたコマーシャルはこうした映像によって置き換えられた。震災後1か月間、こうしたドラマティックな映像は毎日流れた。ニュース番組のあとには、地震の専門家、心理学者、社会学者、政府の役人とのインタビューが放送された。番組はサテライト・ニュース・ギャザリング(Sattellite News Gathering:SNS)と電話回線を使ってライブで流された。

メトロTVはニュースを毎時間更新するためにレポーターをいろいろな場所に派遣した。視聴者の注目を集めるために独占取材の特別番組も制作された。映像とナレーションを組み合わせて視聴者の目と耳に訴えたり、背景に音楽と映像のモンタージュを使って印象を深くしたりする試みもなされた。ニュースに信頼性を持たせるために、インドネシア気象気候地球物理庁(BKMG: Indonesian Agency for Meteorology, Climatology and Geophysics)やその他の関連組織の専門家のインタビューも交えた。

2-4. 義援金募集の活動

メトロTVが津波の惨状を報道してから、“Tanah Rencong”(短剣の地)とも呼ばれるアチェには莫大な義援金が寄せられた。津波発生から40日間連続して流されたニュースや「Indonesia Menangis(インドネシアは泣いている)」などの番組は、アチェから離れた土地に住む人々の涙を誘うものであり、物資やお金の寄付が相次いだ。アチェの悲しいニュースはすぐに海外にも広まった。数週間後には、15か国がMulti Donor Fund for Aceh and Nias (ニアス:津波によって大きな打撃を受けた北スマトラ州の島)という支援基金の設立に合意し、基金の額は5億2500万USドルに達した。この基金は最大のドナーである欧州連合、世界銀行、およびアチェ・ニアス地域復興庁(Agency for Rehabilitation and Reconstruction for the Region and Community of Aceh and Nias(BRR))が共同で運営した。アジア開発銀行は3億USドルの基金を提供した。

テレビ番組「インドネシアは泣いている」を通じた救援物資の受け入れに加え、メトロTVはインドネシアの銀行(Bank of Central AsiaとBank Mandiri)に義援金用の口座を開設した。この義援金の募集は順調に進み、1週間後には400億ルピアに達した。テレビ放送によって国内外に津波の惨状が広く知られるようになり、インドネシア国内はもとより海外でも連帯と支援の輪が広がった。

たとえば、インドネシア貿易保険機関(Export Insurance PT Indonesia)の女性社員ムティア・サフィトリ(Mutia Safitri)さんは「インドネシアは泣いている」を見た何百万人もの視聴者のひとりであり、「悲しさに打ちのめされた」と述べている(Samiaji Bintang, 2007)。サフィトリさんは南ジャカルタの会社のオフィスで直ちに義援金募集活動を組織し、およそ50人の社員から5億3300万ルピアを集めた。このお金は津波が発生してから3日後の12月29日にPT Citra Media Nusa Purnamaというメディア関連の会社の口座に振り込まれた。

メトロTVに加え、紙や電子を媒体とするメディア関連の会社も同様のプログラムを推進した。テレビ局のSCTVはCharity Purse SCTVをスタートさせ、RCTI は”RCTI Care”という番組を放送した。ロイター・グループはHumanitarian Wallet Compassを通じて読者に訴えた。Jawa Pos、Mind、Suara Merdeka、Republikaなどの印刷媒体メディアもいっせいに読者のために救援の窓口を開設した。

津波の前から、テレビの人気番組が人々に思いやりの心を呼び起こすことはPIRAC (Public Interest Research and Advocacy Center) の調査が示していた(2003)。理由は簡単である。この種のメディアが伝えるメッセージは、人々の中の同情心を探り出し、引き出す。PIRACの調査によれば、津波発生から1か月もたたないうちに、アチェとニアスの被災者のために紙と電子のメディアが集めた義援金は310兆8910億ルピアにもなった。徐々にではありながらこの数字は増え続けた。2005年8月までに義援金の総額はおよそ3671億7000万USドルになった。なかでも突出しているのはメディア・グループ(Media Group)の会長であるスルヤ・パロー(Surya Paloh)氏とそのチームよる活動であり、1691億8500USドルを集めた。これに続くのがAP-TV7などのメディア・グループであり、50兆6870億ルピアを集めている。


3. 災害報道における放送局の権利と義務

放送局はどこにも依存せずに真実を追究し、報道する権利を持っている(Chadwick, 1996)。実際には、こうした権利は法律と倫理によって制限される。放送局は政府、メディアのオーナー、広告主、後援者からの独立を必要とする。と言っても、これらから完全に独立することはできない。政府はメディアのビジネスを取りまく法律を制定するだけでなく、ニュースの主要なソースとなることも多い。オーナーはスタッフに給与を支払い、専門的なサービスを提供する。民間のメディアは広告からの収入に依存せざるをえない。こうした影響のもとに存続することによってはじめて、メディアはその責任をまっとうすることができる。

災害時にはメディアは住民へのサービスを提供する力を持っている。被災した住民に対してメディアは情報を提供し、各種の指示を知らせことができる。将来起こりうる同様の災害に備えるための情報を提供することもできる。それだけはなく、ボランティア精神に訴えたり、献血や義援金を呼びかけたりすることもできる。政府の反応が遅ければ、その改善を促すこともできる。有害な結果が予測されるときには、あえて情報を出すのを差し控えることもできる。

ニュースメディアは人々の関心を災害に向けさせることができるが、人々の関心は長くは続かない。災害や非常事態にニュース価値がなくなったり、人々が同じような報道の繰り返しに飽きてきたりすると、災害もメディアから取り上げられることが減り、やがてはまったく報道されなくなる。災害報道のほとんどは復旧が本格的に開始する前に終わってしまう。報道されなくなれば、復旧と再建のプロセスに関心を持つ人はごく少数になる。

要するに、重要なのは災害発生に先立ってメディアが危機管理チームの一員となっていることである。災害に対応する計画の中にメディアが参画している必要がある。地元の関係者や災害対応プログラムを前もって知っていれば、より正確でより役に立つ報道が可能になる。危機管理の責任者は情報に精通したメディアを通じて住民とコミュニケーションをとることができる。こうすれば、何が必要とされているかを知り、対応がどのように進捗しているかを理解して、根拠のない噂を一掃できる。あとで説明するように、国家早期警報システム(National Early Warning Systyem)はメディアを組み込んだ形になっている。


4. 災害報道の批判的点検

アチェ津波に関する報道番組を点検すると、少なくとも5つのポイントを指摘できる。

4-1. メディアの独立性

放送局は「ウォッチドッグ」(監視役)としての役目を持っている。環境の監視役としてのマスメディアという点では、災害に関して集めた情報のすべてを広く知らせる必要がある。もし、義援金の募集や分配をはじめとするチャリティだけに没頭してしまえば、誰が「ウォッチドッグ」の役目を担うのか。誰が義援金が分配されるプロセスを監視し、ほんとうに必要としている人々の手に渡るように見張ることが出来るのか。復旧・復興のプロセスを誰が監視し、計画どおり進展しているかどうか誰がチェックするのか。

こうした災害の「商品化」は放送局の評判やアカウンタビリティにも悪影響を与える。会社が社会的に責任ある活動に携わる場合は、みずからの資金でもってしなければならない。メトロTVの場合、義援金の分配やチャリティにかかわる資料やポスターにはメトロTVのロゴが印刷されていた。被災者に物資にもメトロTVのロゴが表示されていた。

4-2. メディアのアカウンタビリティ

アカウンタビリティ(責任の所在)に関しては、義援金や救援物資の分配を誰が監視するのかが問題になる。たとえば、メトロTVはプロの組織や人道団体を通じた寄付を視聴者に勧めなかった。実際は、メトロTVにとっても、自前で義援金を募集・分配するよりも赤十字やDompet Dhuafaなどのプロ組織と協力し提携したほうが効率もよく、より安全でもある。プロの組織と協力すれば、メトロTVの義務は義援金の分配の監視に限定される。自前で組織したプロジェクトのおかげでテレビ局は「サンタクロース」の役目を果たすことができるかもしれないが、メディアや放送局のこうした活動は「メディアの独立性」という原則をないがしろにするものである。

4-3. ニュースの客観性

「客観性の原則」とは、ニュースのプレゼンテーションにおいて報道機関が客観的でなければならないことを意味する。報道は社会の幅広い見解を取り上げるともに、さまざまな社会グループを反映したものでなければならない。災害対策は通常は声高に論議されるテーマではないが、メディアが災害のニュースを流すことによって政治的な重要性を帯びてくる。メトロTVの場合、みずからが関連している組織に関する報道が多いきらいがある。たとえば、メトロTVのオーナーであるスルヤ・パロー(Surya Paloh)氏は政治家でもあり、災害当時はインドネシア最大の政党と関係があった。

ニュースの客観性を巡るもう1つのテーマは「市民ジャーナリズム」である。アチェ津波の際、メトロTVはアマチュアが撮影した災害の映像を送ってもらいテレビで放映した。こうしたやり方での問題は品質の管理である。多くの潜在的な取材記者たちの多くはジャーナリズムの訓練を受けておらず、客観性や誠実さに対するそれぞれ自分なりの基準で活動する。番組の品質は誰が報道し、誰がニュースを発表するかに関係する。ニュースをより魅力的にするために若干の「手直し」が行われることがあっても、素人が撮影したニュースは決して見やすくはない。

4-4. 公的な利益と商業的な利益

ニュースを報道する組織は企業であり、視聴率あるいは読者数や購読者数を最大にして、広告収入を増やすことを目指している。このため、センセーショナルなニュース、人々の注目を引くニュース、議論の的となるようなニュースを追いがちになる。コバッチ(Kovach)氏は「(メディアを)低俗化したり商業的な利益のために利用したりせずに、ウォッチドッグとしての自由を守る義務が我々にはある」と述べている(Kovach et al. 2002)。

メトロTVは「インドネシアは泣いている」の番組の中でこの原則を放棄した。番組は災害の現実や最新の情報を伝えようとはしているものの、広告時間をより多く売るためにニュースTVとしての人気と名声を高めようとする姿勢があらわである。被災者の深い悲しみを商業的な利益のために利用するのは倫理に反するのではなかろうか。

テレビ局は様々な映像や報道を通じて被災者を利用した。むき出しになった死体や死と格闘しながら血を流している犠牲者の映像が不適切な形で放映されたりした。こうした映像が頻繁に放映されたことから、犠牲者の親族の感情が傷つけられた。この種の映像の頻繁な使用は視聴者の心理的トラウマを生み出しかねない。

4-5. 悪いニュースはよいニュース?

「悪いニュースはよいニュース」という表現は放送関係者の哲学となってしまった。視聴率さえ上がれば、視聴者にどのような影響を与えるかを考えずに、低品質の番組を制作してしまう。「悪質なテレビ番組に反対するコミュニティ」(Community Against Bad Television Programs:Masyarakat Anti Program Televisi Buruk)はメトロTVとTVOneを「内容が低俗でジャーナリズムとしての倫理に欠け、ニュース番組を過剰にセンセーショナルにしている」と批判している。

災害時にはニュース報道の偏向も見られた。災害や非常事態に際して、メディアの報道が悪い結果を生むこともある。メトロTVはときに誇張や推測をまじえて災害のストーリーをつくりあげた。パニックや略奪を誇張して報道したり、「村全体が壊滅した」という災害神話を不動のものとしてしまったりした。略奪と無法状態が村全体に広まっているとか、外部の助けがなければ被災者は再起できないだろうといった誤った報道もあった。こうした報道は公的機関による救援を妨げた。

レポーターが津波のメカニズムをよく知らないという問題もあった。知識のないレポーターは複雑な状況を単純化してしまう。時間もなく専門家でもない視聴者にとってはこうした単純化は便利かもしれないが、過度な単純化は何が発生したかに関する視聴者の理解を妨げる。たとえば、地震活動度や地震に関連する気象情報を知るレポーターは少ない。復旧のプロセスに関して言えば、政府が推進している計画やプロジェクトを知ろうとする努力をしない。残念ながら、被災者を支援するために政府が取り組んでいるプロジェクトを理解しているレポーターはほとんどいない。

5. 災害を克服し将来に備える:津波後

環太平洋火山帯(Ring of Fire)で発生する地震が多いことから、太平洋は津波などの自然災害に頻繁に襲われる。このためこの太平洋沿岸では効果的な津波警報システムが設置されている。環太平洋火山帯の西端はアチェ津波の犠牲となったインド洋にもまたがっているが、インド洋には警報システムは存在していなかった。インドネシアでは地震は頻繁に発生したものの、津波はあまり多くなかった。津波検知システムの構築は技術的に非常に難しい。警報をすばやく伝える通信インフラの構築はもっと難しくなる。あまり豊かでない地域ではなおさらである。

5-1. コミュニティ放送の進展

アチェではコミュニティ・ラジオが地域の特性や文化、習慣に応じて発展している。コミュニティ・ラジオの発展は津波の被害を受けたGampong(村)でとりわけ著しい。村民がラジオ局に参加し、いろいろな形でサポートしている。イスラム教の文化を通じて自立したラジオ局もあれば、義援金や救援物資の分配を監視しているラジオ局もある。

アチェ津波はコミュニティをベースとしたメディアが発展するきっかけとなった。津波以前は、コミュニティ・ラジオは皆無で、民間の商業的なラジオ局だけが存在していた。最初のコミュニティ・ラジオであるバンダ・アチェのSuara Muhammadiyahはムハマディヤ中央委員会(Central Commitee of Muhammadiyah)とジャカルタの通信社Radio 68Hによってサポートされた。このラジオ局は被災者の避難所の拡声器を利用して放送し、より多くの人々に最新の情報を伝えた。

津波発生後の数日間、テレビやラジオの受信に必要なインフラと設備が波に流されてしまったため、アチェの住民は情報を知るのに苦労した。Flamboyan FM、Nikoya FM、Kontiki FM、 CDBS FM、Toss FMといったバンダ・アチェの民間ラジオ局は運営が成り立たなくなった。公共放送のRRI (Radio of Republic of Indonesia:インドネシア共和国ラジオ)でさえ、ほぼ1週間放送ができる状態ではなかった (Satria, 2008)。

人々は自分の家族や隣人がどうなったか知ろうとした。このときに重要な役割を果たしたのが地元の放送局、主としてコミュニティ・ラジオであった。これらのラジオは政府やNGOのサポートを受けられなかった被災者の場所や人数を報道した。

ジョグジャカルタ(Jogjakarta)のCRI (Combine Resource Institution)は日本社会開発基金(Japan Social Development Fund:JSDF)の援助のもとにAERnet(Atjeh Emergency Radio Network:アチェ緊急ラジオネットワーク)を立ち上げた。これは世界銀行から資金を受けたこのプロジェクトは、コミュニティ・ラジオを通じた情報とコミュニケーションのネットワークの構築を目指している。このプロジェクトによって、5つのコミュニティ・ラジオ(Meulaboh Kabupaten Aceh Barat のSwara Meulaboh FM 、Sinabang Kabupaten SimeuleuのSuara Sinabang FM 、Jantho Kabupaten Aceh BesarのSeha FM、Simpang Mamplam Kabupaten BireunのAl Jumhur FM 、Geudong Kabupaten Aceh UtaraのSamudera FM)が創設された。 現在、Seha FMとSwara Meulaboh FMはライセンスや経営能力の問題で活動を停止している。

CRIはARRnet (Aceh-Nias Reconstruction Radio Network:アチェ・ニアス再建のためのラジオネットワーク)というプロジェクトも立ち上げた。これは復旧・復興計画の恩恵を受けるコミュニティ・グループと、復旧復興計画を遂行するコミュニティ・グループの双方向のコミュニケーションを促進するプロジェクトである。これらのプロジェクトは津波で最大の被害を受けたアチェとニアスをターゲットとしている。2007年の時点で、アチェではおよそ30コミュニティ・ラジオが活動している。

5-2. 早期警報システムの構築

災害の種類が異なれば、備えのあり方も異なってくる。たとえば、ハリケーンや洪水は早くから予測でき、何時間も前に警報を出すことができる。これに対し、地震や津波などでは、前もって備える時間がほとんどない。この種の災害に対しては常時の備えが必要になるのはこのためである。報道機関にとって重要なのは緊急放送計画を確立しておくことであり、いざ災害が発生したどう行動するかをスタッフ、編集者、レポーター、カメラマン、アンカーのそれぞれが理解していることである。民間企業は災害時には操業を停止するが、メディア、とりわけ放送局は視聴者とのコンタクトを失ってはならない。

現在、インドネシアは、あらゆる災害に対処してその危害を小さくするために、早期警報システムの構築に取り組んでいる。報道機関については、「国家早期警報システム・ニュースインドネシア」(National Early Warning System News-Indonesia)と呼ばれるシステムが、警察、地方政府、コミュニティを扱う地方当局である「国家災害管理調整委員会」(National Disaster Management Coordinating Board:BAKORNAS)のような関係組織を活性化させる。早期警報システムには、テレビ、ラジオ、SMS(ショート・メッセージ・サービス)を通じて危険や災害に関する情報を伝達する放送事業者や携帯電話事業者も参加している。

国家早期警報システム・センター

「国家早期警報システム・センター」(National Center for Early Warning System)は、大統領と副大統領の監督下にある「国家調整委員会」(National Coordinating Board)のもとに確立された。これらのシステムを効果的に運営するために、「国家遭難救難庁」(National Search and Rescue Agency)、公共事業省(Ministry of Public Works)、地方政府、大学、モスク、教会などとの連携とネットワークが構築されている。

災害の防止や予測に関連した活動として、オフィス、学校、家庭などでテレビやラジオ、印刷パンフレットを通じた教育と啓蒙も重要である。災害救助活動としては、被災者の避難、避難した被災者や犠牲者への対応、損害の復旧などがある。

災害が差し迫っているときには、災害が襲うと予測される地域の住民に対して正確な早期警報をすばやく流し、住民が安全な場所に避難するなどの手段をとれるようにすることが重要になる。災害情報は放送モードやマルチキャスト・モードなどいろいろなフォーマット(マルチ・メディア・モード)で伝えられる。放送モードでは対象は一般市民であり、地上音声放送(FM、AM)やオーディオ・ニュースのほか、緊急ニュース用に地上テレビ放送のテロップなどが使われる。携帯電話事業者はSMS、インターネット事業者は電子メールやポータルサイトを利用する。

マルチキャスト・モードのターゲットは地域住民であり、衛星テレビや音声放送のほか、衛星電話、携帯電話、電話、ファックス、インターネットを介した音声、テキスト、画像などが利用される。アマチュアや市民バンドのラジオは音声とテキストを流す。警察はハンディートーキー、携帯電話、サイレン、拡声器、ディスプレイなどのほか、従来型の機器を利用して一般家庭やモスク、教会、寺院、市場などの公共の場に情報を伝える。

インドネシア社会に特徴的なのは、モスクの拡声器による放送が多くの人々によって聞かれることである。拡声器による警報が届く範囲は200mから300mくらい、サイレンの届く範囲は1kmから2kmくらいとされている。

今後災害が発生した場合には、こうしたシステムと装置によって被害と犠牲者が減ることが望まれる。


参考資料


※リンク先は掲載時のものです。現在は存在しないか変更されている可能性があります。

Frederik Ndolu

インドネシアサツ・コミュニケーション会長

[学歴]
2013年 インドネシア大学政治学部博士課程在籍中
2004年 インドネシア大学コミュニケーション分野でS2学位
1994年 国立行政学院行政(Public Administration of Academic of State Public Administration)S1

[職歴]
現在:Lieder Magazine(ジャカルタの月刊誌)編集長
現在:Indonesiasatu 財団会長
現在:インドネシア・ビジネス情報学院(Business Informatics Indonesia:IBii、ジャカルタ)で心理学コミュニケーション講師
2006-現在:OPOSISI(QTVのトークショー)のホスト
2005-2009年: QTVの番組ディレクター(ケーブルテレビ)
2004年: 国のリーダーをテーマとするWebサイト www.indonesiasatu.comを開設
2001-2002年:「Autonomous Region」(TVRIの対話型番組)のホスト
1997-2004年:RRIドメスティック・サービスのプロデューサー兼ニュースキャスター
1987-1997年:「Voice of India」ニュースエディター、プロデューサー、ニュースキャスター、インタービュワー
1984-2004年:情報合同省(Joint Department of information)の公務員

[取材経験]
2004-2007年:国内外で政治的、社会的テーマの取材を実践
1995年:ワシントンDCでラジオ報道のための特別コースに参加
1999年:マレーシアのクアラルンプールでUNICEFが主催した子供の権利に関する特別ワークショップに参加

[著作]
『DIA : A Picture of Megawati Soekarnoputri』 Magnum Publishing, 2004年
『MOST WANTED LEADERS : A trilogy of 64 prominent Indonesia figures and their thoughts』, 2009年

これまでのシンポジウム

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