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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第21回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2013年3月14日~9月15日

津波防災とアジアの放送局

スリランカにおける津波対策

Mohamed Shareef ASEES
スリランカ、コロンボ大学 客員講師

概要

本稿の目的は、スリランカ政府が津波防災システムをどのように改善してきたのか検討することにある。とりわけ、災害管理における放送会社と国際機関の役割に重点を置いて見ていくこととする。スリランカがインド洋大津波の被害を受けて8年が経過した。津波以降、スリランカ政府は災害防止に一層力を入れるとともに、さまざまなレベルで災害対策プロジェクトを開始し、国民を教育し災害や津波から国民を守るための取り組みを実施してきた。本稿は主に4つのテーマを取り上げている。スリランカ政府の役割、メディアと放送会社の役割、国際機関の役割について述べるとともに、国・地域社会・村などのさまざまなレベルで実施されている災害対策プロジェクトの一部を紹介している。この調査で判明した重要な点の一つは、スリランカ政府が上から下まで、つまり国家・政府レベルから草の根レベルに至るまで、優れた防災ネットワークを設置してきたということである。

*(キーワード:津波、早期警報、防災、メディア、放送
       Tsunami, Early Warnings, Disaster Prevention, Media and Broadcasters)


1. はじめに

世界最悪の自然災害の一つは、30万人を超える死者を出し2大陸15か国以上で被害を出した災害で、2004年12月26日に発生した。スリランカ沿岸部の3分の2近くを襲ったこの津波によって、確認された死者数は3万5,320人、6,300人が行方不明となった。この津波による経済的損失は22億米ドルと推定されているが、これには社会的混乱によって生じたコストは含まれていない。51万6,100人近くが避難したが、そのうち33%は貧困ラインを下回っていた。住宅9万8,000戸、漁船の75%(沿岸部の住民は主に漁船で生計を立てていた)が被害を受けた。観光はこの地域の主な収入源であったが、500社を超える観光関連企業が被害を受けた。2万3,449エーカー(訳注:約9,500万平方メートル)の農地が破壊された。200校の学校が被害を受け、被害を受けなかった学校450校は国内避難民(IDP)のための一時避難所として利用された。乗客1,260人の命を奪った世界最悪の列車事故も、このインド洋大津波と同じ日に起こった (Jayantha Ranatunga: 2005: 1-2)。

このような危機に対する備えがなかったことが状況を悪化させた。津波の第1波の威力はそれほど激しくなかったために警告のシグナルとして捉えられることがなく、不幸にも、この異常現象を見ようと大勢の物見高い野次馬が海岸に押し寄せた。そのため、第1波から30分後に到達した最大級の第2波によって非常に多くの人命が奪われる結果となった。第3波と第4波でさらに大勢の人々が命を失った。溺れた人を助けたり、貴重品を持ち出そうとしたりしていたためである。津波はスリランカ南部沿岸を襲う40分近く前に東部沿岸に到達し、被害を出していたが、南部沿岸の人々は東部沿岸が津波で被害を受けたことを全く知らなかった(同: 2005: 2)。このことは、スリランカでは津波の際に、早期警報が発信されなかったことを示している。

 地震は津波がスリランカに到達する3時間近く前に発生したため、早期津波検知・警報システムが設置されていれば、津波による死亡の多くは回避できたであろう。ジャヤンサ・ラナトゥンガ(Jayantha Ranatunga、2005年)は、早期警報システムがなかったことがスリランカで大量の死者を出した主な原因の一つだとしているが、インド洋に津波警報システムが設置されていなかったのは、津波が発生しやすい太平洋とは異なりインド洋は安全だと考えられていたせいでもあると付け加えている。

 地質学者や政策決定者の多くは、活動が非常に活発な「スンダ海溝北端」(以前はジャワ海溝と呼ばれ、インドネシア近海、インド洋北東部に位置する)によって津波が起こる可能性を過小評価していた。インド東部沿岸で5,000人を超える死者を出した1941年の津波でさえ、「高潮」と誤解されていた(同: 2005: 3)。

 太平洋津波警報センター(PTWC: Pacific Tsunami Warning Center)が津波の脅威に気付いたとしても、インドやスリランカ、タイにはPTWCの警報を伝える担当者がいなかった。津波に備えるプログラムがなかったため、PTWCはこれらの地域の人々に情報を伝えたり、有効な安全手順にしたがって津波から避難するよう要請したりすることができなかった。津波に対する認識と備えの欠如がスリランカで大量の死者を出した原因であった。早期警戒システムや危険を伝える方法がないとどれほど恐ろしい状況になるのか、スリランカで十分に実証されたのである(同: 2005: 4)。  30分前に津波がスリランカ東部沿岸を襲ったときにその危険が伝えられていたら、南西部沿岸の多くの人命は救えていたかもしれない。比較的弱い第1波と沿岸から引いていく波でさえ、まったく警告のシグナルとは捉えられなかった。悲惨なことに、この異常な海洋現象に引き付けられて、安全な地域から大勢の物見高い野次馬が海岸に押し寄せ、恐ろしい第2波の犠牲になってしまった。第3波や第4波でも人命が失われたということは、津波の危険がまったく認識されていなかったことを示している。スリランカ国民の99%にとって津波は初めて耳にする外国語だった。

 津波に対する認識がなかったというのは言い訳にはならない。スリランカでは地元の言い伝えにあるように、これまでに海が何度か氾濫して、国土が広範囲にわたって浸水した歴史があるからだ。津波に似た出来事が初めて記録されたのは、2,200年以上前の紀元前200年にさかのぼる。スリランカの歴史書『マハーワンサ(Mahawansa)』によると、巨大な波が押し寄せ、ケラニティッサ王(Kelanitissa)が治める公国の首都ケラニヤ(Kelaniya)の周辺の何マイルにもわたりいくつかの村が冠水したとある。また、スリランカのシンハラ族諸王についての歴史的物語である『ラジャバリア(Rajavaliya)』によると、100の港町と970の漁村で海の波が押し寄せて氾濫したとある。1883年8月27日、インドネシアのクラカトア火山島が噴火し、それによって引き起こされた津波が午後1時30分頃にスリランカに到達した。海が引いて、岸から20~70ファゾム(訳注:約40~130メートル)の海底が数分間露出したが、幸運にも津波は戻って来なかった。このときの波はわずか4フィート(訳注:約1.2メートル)の高さにすぎず、2人の死者が報告されただけで家屋の損壊は記録されていない。上述した例はスリランカの歴史において津波が目新しい現象ではないことを示しているが、スリランカ国民の大半は津波が正確にはどういうものなのか、津波が国民にどれほどの損害を与えるかということを理解していなかったのである。

 スリランカ政府と科学者は沿岸住民に警報を出さなかったことで厳しい非難を受けた。メディアはパレケレ地震観測所(早期警報センター)が果たした役割にかなり批判的であった。自動観測を行う無人のパレケレ観測所は津波を予測できないことをメディアは理解できなかったのである。パレケレ観測所は地震発生7分後に揺れを記録し、そのデータはすぐに送信されたが、津波に対する認識不足とメディアによる報道が限られていたことから、パレケレで観測されたデータは国民に届かなかった。

 本調査では4つのテーマ(スリランカ政府の役割、メディアと放送会社の役割、国際機関の役割、津波被災者のための開発プロジェクト)を取り上げて論じる。筆者はスリランカの災害管理省(Ministry of Disaster Management)、防災センター(Disaster management Center)、スリランカ放送協会、国連開発計画、学校長、地域社会のリーダー、宗教指導者、コロンボ県とゴール県の漁業者など、さまざまなレベルで何回か聞き取り調査を行ってデータを収集した。次の項では、スリランカの防災システムにおける政府の役割について説明する。


2. 防災におけるスリランカ政府の役割

 過去数十年間にわたり、スリランカでは災害による死者数が大幅に増加してきた。スリランカは洪水、サイクロン、地滑り、干ばつ、海岸浸食などが原因で起こる自然災害が発生しやすいことに加えて、環境汚染に関連するリスク事例も増加している。2004年のインド洋大津波による大災害で浮き彫りにされたのは、スリランカもまた、発生頻度は低いが衝撃が大きい災害に対して脆弱であり、こうした災害によって広範囲に及ぶ被害が生じ、何年にもわたる成長の成果が水泡に帰してしまうということである。この数年間、スリランカ政府は災害リスク管理に関して、法律と制度の両面から体制の強化に向けて十分な措置を講じてきた。以下の表は1977年から2013年現在までにスリランカ政府がどのような役割を果たしてきたのかを示すものである。

 表1:スリランカ政府の役割
表1:スリランカ政府の役割

 上の表が示すとおり、スリランカ政府は1970年代から災害管理において中心的な役割を担ってきている。しかし、政府の役割はとりわけ津波の直後から急激に増大している。表には、津波の直後の2005年、スリランカ政府は法律(議会法No. 13)を制定し、災害管理・人権省を設置するとともに、国の災害管理を目的として議会委員会と防災当局を複数設置したことが記載されている。次の項では災害管理・人権省の役割について説明する。

2.1. 災害管理・人権省(Ministry of Disaster Management and Human Rights)

 災害管理・人権省は2005年に設置された。同省が設置された主な目的は、自然災害および人災を有効に防止・緩和することにより、人間が自然と調和した生活を送り、人間の繁栄と尊厳を推進できるようにすると同時に、スリランカの人権を促進することである。災害管理・人権省の活動は、主に3つの分野、(1) 災害の防止・緩和と災害への備え、災害に対する脆弱性が高い人々への早期対応、(2) 救援、復旧、復興など被災後の活動全体のとりまとめ、(3) スリランカ全国民の人権の促進、に分かれている。以下の図1は災害管理・人権省の組織構成を示している。

 図1:災害管理・人権省の組織図
図1:災害管理・人権省の組織図  (出所:スリランカ災害管理省のホームページ、2012年)

 図1によると、災害管理省には5つの部局がある。それぞれの部局は相互に連携しているだけでなく、各部局が災害管理に関するそれぞれの課題に重点的に取り組んでいる。「国家防災委員会(NCDM)」は社会サービス、復旧・復興を担当している。「気象局(DOM)」は早期警報サービスを担当している。「防災センター(DMC)」はプロジェクトの実施全般に責任を負っている。「国家建築研究所(NBRO: National Building Research Organization)」は画期的な災害教育と災害研究の実施を通じて災害の緩和、災害に対する備えと安全を担っている。「国家災害救援センター(NDRC: National Disaster Relief Center)」は災害の影響に見合うプログラムを策定し実施する責任を負っている。災害管理省の傘下にはこの5つの部局があるが、防災センターは重要で、スリランカの防災における中心的な役割を果たしている。次の項では防災センターの役割について述べる。

2.2. 防災センター(DMC)

 防災センターは「スリランカ災害対策法(Sri Lanka Disaster Management Act No. 13、2005年)」に基づいて、「国家防災委員会」の傘下に設置された。防災センターが設置された目的は、自然災害・技術的災害・人災のリスクの体系的管理を通じて、地域社会および国全体に安全文化を形成することにある。防災センターには「災害緩和課(MDD)」、「災害予防対策課(PPD)」、「緊急時対応課(EOD)」、「教育・意識向上課(EPAD)」という4つの部局がある。以下に挙げる図2でそれぞれの部局について詳細に説明する。

 図2:防災センター(組織図)
図2:防災センター(組織図)  (出所:スリランカ防災センター(DMC)のホームページより、2012年)

 図2によると、「災害緩和課(MDD)」はハード、ソフト両面を整備することにより、国レベルで災害を緩和し、リスクを軽減する責任を負っている。「災害予防対策課(PPD)」は国レベルの災害管理計画および緊急活動計画の策定、見直し、更新を担当する。「緊急時対応課(EOD)」は、緊急事態が発生した場合に有効かつ組織的な対応を行うために欠かせない重要なものである。「教育・意識向上課(EPAD)」は一般に、国内の該当する政府機関に対して研修を実施したり意識向上を図ったりしている。次の項では、スリランカの津波災害防止におけるメディアの役割について述べる。


3. 津波災害防止におけるメディアの役割

 メディアは災害に対する一般市民の認識を促す点で重要な役割を果たすことができる。それゆえに、メディアは災害リスクを低減できるのである。災害時に、メディアは事実情報をタイムリーに国民に提供するだけでなく、避難や役立つ情報、ちょっとしたコツ、すべきこと、してはいけないことなど、どのような行動をとるべきかについても市民に助言するべきである。また、政府当局や支援グループ、救援組織などがどのような活動を行っているかについても情報を提供するべきである。非常時には、メディアは被災地域の住民のニーズに目を配り、誤った情報を伝えたり未確認の情報を放送したりしないようにする必要がある。そういうことがあると、絶望やパニックを引き起こしかねないからだ。メディアを通じて確かな情報がタイムリーに提供されれば、人々は災害時やその後に不必要な不安を克服し、運命だと諦めず前向きに行動を起こすことができるかもしれない。メディアがこのような役割を最も効果的に果たすためには、政府や学術機関、災害軽減を担当する組織がメディアとの協力体制を構築し、協力体制を強化する必要がある。

 スリランカのメディアは、50チャンネル以上のテレビとFMラジオの放送ネットワークで島国全体をカバーしており、重要な役割を果たしている。2004年のインド洋大津波以前は、このような放送ネットワークも緊急放送センターもスリランカには存在しなかった。しかし大津波の後、スリランカ政府は「緊急時対応センター(EOC)」を設置するとともに、各種の早期警報システムを導入してきた。スリランカ・メディアのスポークスマンによると、2004年の大津波で国内のメディアが果たした役割は極めてわずかなものであった。国内メディアと比較すると、津波関連の映像の大半の記録・放送は外国メディアによって行われた。津波を知らなかったこと、津波に対する備えがなかったことがこのような事態を招いた原因だと判明した。さらに、このスポークスマンは、メディアは電子メディアと社会メディアの2種類に分かれると述べている。電子メディアは、視聴者や聴取者であるエンドユーザーがコンテンツにアクセスするために電子機器や電気機械エネルギーを使用するメディアである。これに対して社会メディアとは、仮想コミュニティーや仮想ネットワークのなかで人々がコンテンツを創作・共有・交換したりコンテンツに意見を述べたりする、人々の交流そのものをいう。スリランカの場合、電子メディア、社会メディアのいずれも、津波後(2005年以降)大幅にレベルアップしてきた。これについては第3.1、3.2、3.3項で詳しく述べることとする。

3.1. 緊急時対応センター(EOC)

 緊急時対応センター(EOC)は、緊急事態が発生した場合に有効かつ組織的な対応を行うために欠かすことができない重要なものである。同センターは24時間365日対応可能な体制で運営され、災害や資源に関するすべての情報をとりまとめて管理している。センターは発生した緊急事態の情報を受け取って分析し、意思決定ができるように提示する。また、重要な資源を入手したり、優先順位を付けて配備したり、資源の動きを追跡したりする。意思決定を強化したり、意思疎通を促したり、協力・協同を推し進めたりすることも緊急時対応センターの仕事である。センターには会議施設や表示装置など、必要なすべての機材が備えられている。センターには本格的なオペレーション・ルームが1室、24時間365日使用可能なコントロール・ルームが1室、すべての通信機器を管理する通信室が1室ある。市民はセンターに用意されているホットラインに電話をかけて緊急事態を通報することができる。市民からセンターへの連絡用として複数の電話番号が割り当てられている。防災センター(DMC)は現在、緊急事態や災害の発生に備えて24時間365日対応できるコールセンターの設置を進めているところである。

 防災センター(DMC)は、該当する専門政府機関や専門委員会と共に、早期警報について取りまとめを担当する拠点である。さまざまな危険に対応して早期警報の周知を担当する防災センターの部局は、自然災害や人災を担当するすべての専門政府機関と常に連携をとっており、緊急災害が発生した場合は、防災センターが動いて、州や県、コミュニティーのレベルの担当責任者へ以後の情報が伝えられる。以下の図3はスリランカの緊急時対応センター(EOC)の組織について説明したものである。

 図3:緊急時対応センター(EOC)
図3:緊急時対応センター(EOC)  (出所:防災センター(DMC)、2012年報告書)

 図3によると、災害や津波が起こった場合、国の緊急時対応センターは、災害警報を発信する国際機関や地域センター、津波等危険警報センター、防災センター、緊急対応サービスの提供者、市民社会、NGO、警察、軍など、さまざまなところから情報を受け取り、適切な政府機関や当局に連絡をとって国民に情報を伝える。

 以下に挙げるのは、緊急時対応センター(EOC)の主な責務の一部である。(1) 早期警報塔その他の早期警報を発信・周知させるための設備の維持管理と運営、(2) 早期警報の周知徹底、都市部から離れた災害脆弱地域の村落住民が確実に警報を受信するようにすること、(3) 援助供与国からの支援を取りまとめ、早期警報を担当する専門政府機関の能力を強化する、(4)早期警報に関連する活動に対する各種政府機関および国民の意識を向上させるための活動に取り組む、(5) 警報の周知に関わる州、県、地方自治体レベルの活動の取りまとめと実施にあたって、地方の防災ユニットを指導する。

3.2. 早期警報システム

 スリランカには、2004年以前は津波の早期警報システムが存在しなかった。災害が発生した場合は、政府機関が災害を監視し早期警報を発令するが、災害の種類によって異なる政府機関にその権限が与えられていた。例えば、気象関連の問題については気象局、海洋問題については「国立水産資源庁(NARA=National Aquatic Resources Agency)」、地震問題については「地質調査・鉱山局(GSMB=Geological Survey and Mines Bureau)」、地滑りについては「建築研究所(NBRO=National Building Research Organization)」に権限が委ねられていた。インド洋大津波の後、早期警報システムに関する暫定委員会と議会委員会が2005年に設置され、気象局がスリランカにおける津波の早期警報センターに指定された。気象局は、太平洋津波警報センター(PTWC)、日本の気象庁、カリフォルニア統合地震観測網(CISN=California Integrated Seismic Network)と連携している。以下の表2は、国内外の関係当局からスリランカ気象局まで早期警報がどのように送信されるかを示している。

 表2:スリランカにおける津波の早期警報
表2:スリランカにおける津波の早期警報  (出所:防災センターの2012年報告書に基づき筆者が作成)

 上の表2によると、地震や津波を監視しスリランカ気象局に情報を伝える責任を負っている機関には、上述の4つの機関がある。また、表2によると、早期警報は30分以内にスリランカ気象局に届くことが分かる。

 インド洋における津波の早期警報システムの設置は、災害による被害の軽減を目指して2005年1月に日本で開催された国連防災世界会議に応える形で、主にユネスコによって推進されている。2005年11月中旬に、ブイ式津波警報装置の最初の2基がスマトラ沿岸水域に設置された。大きさ7メートルのこのブイは海底の水圧センサーと接続されていて、インドネシア本島にある中央観測所に衛星経由で情報を送信する。送信されたデータは研究者によって分析され、警報を発令するかどうか判断される。

 スリランカの場合、気象局と防災センター(DMC)が津波の早期警報を受信する役割を担っている。2005年災害対策法(Tsunami Prevention Act No. 13)によれば、メディアや関連当局を通じて国民に早期警報を出すのは防災センター(DMC)の役割である。早期警報は国、州、県、村落の4つのレベルで発令される。

 国レベルについて言うと、早期警報ユニットを持つ国営テレビ局が7局、24時間365日対応の緊急事態対応センターがある国営ラジオ局が7局、早期警報信号を気象局へ伝える国営の早期警報塔が34基あるうえ、電話対応サービスが設けられてスリランカの防災について国民に情報を提供している。州レベルでは、地域のラジオ局、電話会社、防災コーディネーター、警察や軍の広報が、早期警報を国民に伝える責任を負っている。村落レベルでは、個別に電話をかけて警報を伝えたり、早期警報を担当する小委員会や警察車両、NGOや地域住民組織 (CBO)の職員、寺院や教会の鐘により警報が伝えられたり、自転車やオートバイで警報を触れ回ったりするなどの方法で住民に周知される。以下の表は、スリランカの国民に早期警報を出しているテレビやラジオのチャンネル、ニュース警報、ニュースのウェブサイトの一部である。

 表3:メディアによる早期警報
表3:メディアによる早期警報  (出所:防災センターの2012年報告書に基づいて筆者が作成)

3.3. 放送会社の役割

 放送会社は防災において重要な役割を果たすことができる。放送会社は自然災害について人々を教育するとともに、自然災害に襲われた後は人々を落ち着かせるだけでなく、パニックを防ぎ風評が広がるのを阻止することが報告されている。インド出身のあるジャーナリストは、インドの放送会社は津波が起こったのに警報を出さなかったと述べている。「放送局が津波警報を出していれば、人々は安全な場所に移動できたかもしれませんが、警報を出す仕組みがなかったのです」。実際には、テレビ局は警報を出すだけでなく、災害からの復興を見届ける最も重要な目撃者である。放送局は被災者の状況とニーズを世界に知らせることで、被災者を手助けできる立場にある。自然災害と予防策についての認識を高めることで、将来はもっと多くの命が救われるであろう。

 スリランカでは、2004年の津波の際に放送会社が果たした役割は極めて限られていた。事実、国民を啓発したり被災地域から避難するのを援助したりするための特別委員会や特別グループは、放送会社のあいだで設置されていなかった。一部の放送会社は、津波が起こったときに多くの放送局が放送を中止したうえ、放送局間の連携もネットワークもなかったと指摘している。放送会社を招集して最初の会議を始めるのに10時間近くを要した(2012年12月15日、スリランカの放送会社数社に聞き取り調査)。

 しかし、津波の後、スリランカ政府は防災に一層重点を置き、放送会社と新聞記者を含む緊急対応チームを複数設置した。放送会社と新聞記者をチームに入れた主旨は、国民を啓蒙すること、そして国民を安全に避難させることである。実際、国民の啓蒙と安全な地域への誘導、そして外部の人間を動員することで被災者が外部から支援を得られるようにすることの3点は重要である。2004年にスリランカで津波が起こったとき、複数の放送会社も交えて開かれた予備会議の席において、スリランカ放送センターの敷地内に緊急対策センターを開設し、放送会社のチームを派遣して被災していない地域から集めた食糧、衣類、その他の必需品を被災者に救援物資として送ることが決定されたと報告されている。この津波支援は「津波サハナ(tsunami sahana、津波被災者のための特別支援)」と呼ばれるようになった。現在でも、多くの放送会社やテレビ局はスリランカで自然災害が発生するとこのプログラムを実施している。

 救援物資を援助するほかに、放送会社は津波の情報を集めて、津波に対する国民の意識向上を図るための番組をスリランカ・ルパバヒニ放送という国営放送局で放送し始めた。さらには、複数の外国メディアと接触し、さまざまな国から緊急援助を仰ごうと、外国メディアに対して支援の要請も行った。2004年の津波では、インドはヘリコプター5機と救助隊10チームを派遣してスリランカ国民の救助にあたったことが指摘されている。これは、自然災害の発生時に国民を支援するにあたり放送会社が大きな役割を果たし得ることを示している。


4. 国際機関の役割

 国際機関はスリランカにおける津波災害防止という課題に関して重要な役割を果たしてきた。スリランカの国内外で50を超える機関が防災に携わり、住宅建設と生活問題の改善のために巨額の資金を供与していると報じられている。津波被災者が生活再建を成し遂げるために、多くの国際組織や国際機関がスリランカ政府と協力し始めている。その結果、スリランカ政府は2005年、より安全なスリランカの創造に向けた災害リスク管理のための「ロードマップ(行程表)」を導入した。このロードマップは7つの課題を中心に、人権、問題解決、能力構築のためのサービス提供を目的とした100を超える防災プロジェクトに重点を置いている。この100を超えるプロジェクトは、短期プロジェクト、中期プロジェクト、長期プロジェクトの3つに分類される。短期プロジェクトは主に、食糧や(一時的な)避難所、生活問題などの救援活動を中心としたプロジェクトである。中期プロジェクトは主に復興問題に重点を置いている。長期プロジェクトはインフラや開発の問題に焦点を合わせている。スリランカ政府は、2005年から2015年までに、津波災害管理のプロジェクトに2万8,000米ドルを割当てている。プロジェクトの実施は国レベル、コミュニティー・レベル、学校レベルの3つに分かれている。これについては、第4.1、4.2、4.3項で詳しく説明する。

4.1. 国レベルの災害対策プロジェクト

 スリランカでは現在、災害管理システムを強化するために政府や複数の国際機関が取り組み始めた国家プロジェクトが20を超えている。国レベルのプロジェクトとしては、災害管理技術、沿岸地域の管理、マングローブなどのプロジェクトなどがある。災害管理技術のプロジェクトは主に早期警報システムに重点を置いている。2005年から2012年の間に、政府によって早期警報塔と早期警報センターが34カ所建設されたことが報告されている。沿岸地域管理プロジェクトは「緩衝地帯(Buffer Zone)」の設置を中心としたプロジェクトである。インド洋大津波が起こった直後の2005年、スリランカ政府は住民が住宅や不動産を建設・所有する場合、海岸線から100メートル離れていなければならないと定めた。海岸線から100メートルまでは緩衝地帯と見なされ、この中には誰も事業資産や物理的資産を所有することができないが、緩衝地帯の中にはいまだに建物や不動産が残っている。こうした光景は主にゴール県で目にすることができる。

4.2. コミュニティー・レベルの災害対策プロジェクト

 スリランカにおける防災のための「ロードマップ(行程表)」(2005年)によると、政府と国際機関が注目しているコミュニティー・レベルのプロジェクトが50ある。これら50のプロジェクトの目的は生活問題を改善し、住民の能力の向上を図ることであった。コミュニティー・レベルのプロジェクトでは主に宗教グループ、漁業者、NGO/地域住民組織(CBO)という3つのグループが中心となっていたことが報告されている。

 宗教コミュニティーは防災において大きな役割を果たすことができる。スリランカは多宗教国家であり、長い間、国のほぼ全土で仏教徒(72%)、ヒンズー教徒(15%)、イスラム教徒(9%)、キリスト教徒(4%)が共存してきた。ゴール県のある仏教僧は、複数の宗教グループが防災の重要性を説き、防災ワークショップを実施していると述べている。漁業者のコミュニティーに関しては、スリランカ政府はいくつかプロジェクトを導入し、緊急事態が発生した場合に備えて情報を伝えたり警戒態勢をとったりできるように漁業者同士のネットワークをつくりあげた。この他には、サルボダヤ(Sarvodaya)、村落開発組織(Rural Development Organizations)、セバランカ(Seva Lanka)などのNGOやCBOもコミュニティー・レベルで防災に取り組んでいる。コミュニティー・レベルのプロジェクトは人々の防災に関する知識を向上させてきたことを記しておく。

4.3. 学校レベルの災害対策プロジェクト

 2004年のインド洋大津波によって明らかになったのは、スリランカ国民が自らを脅かす危険に対処する備えができていなかったということである。スリランカ国民は津波の危険性を認識しておらず自分の身を守る方法を知らなかったため、いざという時に不適切な対応をとることが多かった。例えば、多くのスリランカ人は海水が沖へと急激に引いていくと海岸に飛び出したが、その直後に津波が海岸に押し寄せたため命を落とす羽目になった。教育はこの点において、脆弱性の緩和と防災文化の形成に必要な知識と技能を伝えるための手段として重要な役割を果たすと考えられる。スリランカ政府と多くの国際機関は複数の災害管理プロジェクトを開始した。また、政府と一部の国際機関がスリランカ各地において、大学の講義で、あるいは大学院生や教師、生徒と共にワークショップやセミナーを実施してきたことも報告されている。こうしたワークショップやセミナーの主な目的は、津波について国民に教え、災害に対する脆弱性を軽減することにある。

 諸外国や国際機関の多くからこうしたワークショップやセミナーに対して資金が提供された。例えば、ユネスコや、国連開発計画、ドイツ技術協力公社(GTZ)は、スリランカの学生と共にさまざまなプロジェクトを実施したが、GTZの資金供与で実施された「災害リスク管理と心理社会的ケア・プロジェクト(Disaster Risk Management & Psycho-social Care Project)」などはその好例である。このプロジェクトの主な目的は、災害への備えや学校防災に関して、教育機関で働くスタッフの知識と技能を向上させることである。このプロジェクトが直接対象としたのは教員であった。教員は、災害への備えや緊急事態への対応方法について生徒に指導できるようになることが求められていたからである。教員に防災知識を持たせるとともに教員の方法論的能力を育成するために、プロジェクトはスリランカ国内の国立教育大学17校および教員研修センター100カ所と協力している。

 さらに、上記のプロジェクトは、緊急事態や災害に備えて多くの学校に救急チームを設置することにも力を入れている。上記のプロジェクトは、スリランカ各地の100校を超える学校に救急チームを設置するために資金を提供していることが報告されている。救急チームには警報、避難、安全確保、捜索、救助などの役割を担当する5つのグループが含まれている。救急チームは設置されている学校で防災ワークショップを時々実施し、防災について生徒に教えている。

 ゴール県のある学校長によると、救急チームは少なくとも二ヶ月に一度ワークショップを実施し、万一災害が起こった場合に自分の身を守る方法を子どもたちに教えているということである。地震が起こった場合、子どもたちには、まず机の下に隠れ、次に食料・衣類・薬の入った緊急用バッグを持って校庭にいくように教えている、と校長は付け加えている。こうしたワークショップの目的は、災害が起こった場合にどう対処すべきかを生徒に訓練することである。救急チームによるワークショップの他にも、生徒たちによる演劇活動も行われている。これは、スリランカの津波災害防止について一般市民に教える目的で、舞台や町で劇を演じるというものである。


5. 結論

 この調査の総合的な結論として、スリランカ政府は国家レベルから草の根レベルまで、さまざまな部局や政府当局をつなぐ優れたネットワーク・システムを構築してきたということが分かった。また調査では、2004年の大津波発生前には大勢の人に津波の知識がなかったということも判明した。しかし津波後は、状況は大きく改善されている。

 メディアに関しては、津波の発生時にメディアが果たした役割は極めて限られていたことがうかがわれる。実際、早期警報の放送を担当していたメディアがなかったため、メディアは津波が近づいていることも津波が襲っていたことも知らなかった。その後状況は改善されている。第3.2項で述べたように、テレビ局とラジオ局のいくつかは24時間365日対応できる緊急対策センターを開設するとともに、スリランカで災害や津波が発生した場合に国民に情報提供するための特別放送チームを設置した。

 災害管理プロジェクトに関しては、スリランカ政府も国際機関も、さまざまなレベルで、数多くのプロジェクトをスリランカ国内に導入したことが報告されている。例えば、学校安全教育プロジェクト(救急プロジェクト)は生徒の防災に対する意識を高めるうえで重要である。学校に対する聞き取り調査では、いまだに一部の生徒は何が原因で津波が起こるのか、防災制度とはどのようなものかを理解していないことが判明した。今回の聞き取り調査を含む調査に基づいて、津波災害についての知識の普及と国民意識の向上を図るために、次のような提言がなされた。すべての学校において防災教育を推進すること、セミナーや講座を実施して国民を教育すること、コミュニティー・レベルで国民の意識向上を図るプログラムを実施すること、情報管理システムを強化すること、スリランカにおける災害管理システム内部の調整メカニズムを改善することである。


REFERENCES

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Mohamed Shareef ASEES

スリランカ、コロンボ大学 客員講師

コロンボ大学政治科学・公共政策学部(スリランカ) 客員教授
ペラデニア大学(スリランカ)政治学部
名古屋大学大学院国際開発研究科国際協力専攻 博士前期課程
名古屋大学大学院国際開発研究科国際協力専攻 博士後期課程

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