第21回 JAMCOオンライン国際シンポジウム
2013年3月14日~9月15日
津波防災とアジアの放送局
趣旨説明
2011年3月の東日本大震災は、災害時の放送局の役割を改めて認識させた。
東日本大震災は、同時進行でカメラに捉えられた初めての巨大津波災害であろう。海の向こうから迫ってくる津波が海岸に到達し、家や車を飲み込み、猛威を振う衝撃的な映像は生中継で日本国内はもとより世界に伝えられた。その迅速な対応から日本の災害報道は海外から高い評価を受けた。しかし、日本の放送局とくに公共放送 NHKの災害報道の目的は、被害の様子を伝えることにあるのではなく、災害の犠牲者を一人でも減らすことである。そして、そのために政府の防災機関などとともに放送局が防災システムの一翼を担う仕組みが整備されてきた。
アジアの国々でも現在、日本と同様に、防災システムの整備を進めている。アジアの国が防災対策を重視するようになったきっかけは、2004年12月のインド洋大津波災害である。2004年12月26日インドネシアスマトラ島アチェ州沖で起きたマグニチュード9.1の巨大地震により大津波が発生し、まずインドネシアの沿岸部に襲いかかった。震源に近いアチェ州では、地震発生からほどなく、高さ10メートルを越える巨大津波が町を飲み込んだ。アチェ州とその周辺で17万人近くが犠牲になった。津波の被害は、インドネシアにとどまらなかった。インド洋を囲む周辺国にも津波が届き、スリランカで約3万5千人、タイで8千人余りなど、12か国で合わせて23万人の命を奪った。一度の津波災害として史上最大の犠牲者数である。さらに犠牲者に数えられていない不法就労の外国人労働者を含めると実際の被害はさらに多いと見られている。
この災害では、避難を呼びかける警報が発令されることはなかった。地震発生から2、3時間経っていたタイやスリランカでも、人々は無防備であった。
2004年インド洋大津波が発生した当時、アジアの国々では、津波警報を発令する仕組み自体がなく、放送局も緊急報道を行う準備をしておらず、またその能力も欠いていた。地震の発生が起きたのがクリスマス翌日の日曜日の朝であったこと、また当時アチェ州ではインドネシアからの分離独立運動で紛争が続いていたこともあり、アチェで起きていた甚大な被害の情報は、首都ジャカルタには届かず、各テレビ局は通常の番組の放送を続けた。津波災害発生当日は、世界では、最初に被害の情報が伝えられたスリランカやタイが一番の被災地と見て、救援の準備を始めた。こうした状況を赤十字・赤新月社は、「情報のブラックホール」と呼んだ。
インド洋大津波災害の直後、2005年1月に神戸で「国連防災世界会議」が開かれ、国際協力のもと、アジアを初め世界の防災力を向上させるため国際的に協調して取り組むことが合意された。各国に防災体制を作る国際協力が展開された。
日本も、アジア各国で「社会の防災力向上」のための国際協力を始めた。 その一環として、アジアの放送局の関係者が2005年2月に日本のNHKに集まり、日本の防災体制と放送局の役割について学ぶ研究会が開かれた。その後も、NHKでは、海外からの視察や研修を受け入れるなど、災害報道のノウハウを伝えている。日本では、地震が発生すると、 気象庁が「津波の有無」や「予想到達時刻と高さ」などを発表する。そして、その警報を市民に伝達する大きな役割を果たすのが公共放送 NHKをはじめ、放送局である。NHKでは、海底を震源とする大きな地震が起きた場合、気象庁が警報を出す前でも、津波への警戒を呼び掛ける。また、単に警報を伝えるだけでなく、海岸付近や川の河口付近などから速やかに避難するよう呼び掛けるなど、災害の被害を小さくことが、放送局の重要な使命のひとつに位置付けている。この仕組みを参考に、アジアのそれぞれの国に適した防災システムの構築されることを目指している。
国連のアナン前事務総長は、「インド洋沿岸を津波が襲った時、もし早期警戒システムがあったならば、数千、数万という命を救うことができたであろう。あの大災害は、自然災害の人的・物的被害から逃れるため、また減災のために早期警戒が果たせる役割を各国政府などに知らしめる目覚ましコールとなった」と国連の報告書に記した。その目覚ましコールから8年、アジアの国々で防災体制の整備はどこまで進み、その中で放送局は津波防災にどんな役割を果たせるようになったのか。現実に災害が起きた時、放送局が防災・減災システムの一員として機能する能力はどこまで高まったのか。
本シンポジウムは、インドネシア、タイ、スリランカの三か国について、インド洋大津波を契機に提起された津波防災体制の構築と放送局の役割は、どのような現状にあるのか。またアジア太平洋放送連合(ABU)を中心にアジアの放送局間でどんな協力がすすめられているのか。アジアの放送研究者の現地からの報告をもとに討議を進め、アジアの途上国の津波防災と国際協力のあり方および将来にむけての課題を、東日本大震災の経験も踏まえて、放送の立場から考察するものである。
東日本大震災は、同時進行でカメラに捉えられた初めての巨大津波災害であろう。海の向こうから迫ってくる津波が海岸に到達し、家や車を飲み込み、猛威を振う衝撃的な映像は生中継で日本国内はもとより世界に伝えられた。その迅速な対応から日本の災害報道は海外から高い評価を受けた。しかし、日本の放送局とくに公共放送 NHKの災害報道の目的は、被害の様子を伝えることにあるのではなく、災害の犠牲者を一人でも減らすことである。そして、そのために政府の防災機関などとともに放送局が防災システムの一翼を担う仕組みが整備されてきた。
アジアの国々でも現在、日本と同様に、防災システムの整備を進めている。アジアの国が防災対策を重視するようになったきっかけは、2004年12月のインド洋大津波災害である。2004年12月26日インドネシアスマトラ島アチェ州沖で起きたマグニチュード9.1の巨大地震により大津波が発生し、まずインドネシアの沿岸部に襲いかかった。震源に近いアチェ州では、地震発生からほどなく、高さ10メートルを越える巨大津波が町を飲み込んだ。アチェ州とその周辺で17万人近くが犠牲になった。津波の被害は、インドネシアにとどまらなかった。インド洋を囲む周辺国にも津波が届き、スリランカで約3万5千人、タイで8千人余りなど、12か国で合わせて23万人の命を奪った。一度の津波災害として史上最大の犠牲者数である。さらに犠牲者に数えられていない不法就労の外国人労働者を含めると実際の被害はさらに多いと見られている。
この災害では、避難を呼びかける警報が発令されることはなかった。地震発生から2、3時間経っていたタイやスリランカでも、人々は無防備であった。
2004年インド洋大津波が発生した当時、アジアの国々では、津波警報を発令する仕組み自体がなく、放送局も緊急報道を行う準備をしておらず、またその能力も欠いていた。地震の発生が起きたのがクリスマス翌日の日曜日の朝であったこと、また当時アチェ州ではインドネシアからの分離独立運動で紛争が続いていたこともあり、アチェで起きていた甚大な被害の情報は、首都ジャカルタには届かず、各テレビ局は通常の番組の放送を続けた。津波災害発生当日は、世界では、最初に被害の情報が伝えられたスリランカやタイが一番の被災地と見て、救援の準備を始めた。こうした状況を赤十字・赤新月社は、「情報のブラックホール」と呼んだ。
インド洋大津波災害の直後、2005年1月に神戸で「国連防災世界会議」が開かれ、国際協力のもと、アジアを初め世界の防災力を向上させるため国際的に協調して取り組むことが合意された。各国に防災体制を作る国際協力が展開された。
日本も、アジア各国で「社会の防災力向上」のための国際協力を始めた。 その一環として、アジアの放送局の関係者が2005年2月に日本のNHKに集まり、日本の防災体制と放送局の役割について学ぶ研究会が開かれた。その後も、NHKでは、海外からの視察や研修を受け入れるなど、災害報道のノウハウを伝えている。日本では、地震が発生すると、 気象庁が「津波の有無」や「予想到達時刻と高さ」などを発表する。そして、その警報を市民に伝達する大きな役割を果たすのが公共放送 NHKをはじめ、放送局である。NHKでは、海底を震源とする大きな地震が起きた場合、気象庁が警報を出す前でも、津波への警戒を呼び掛ける。また、単に警報を伝えるだけでなく、海岸付近や川の河口付近などから速やかに避難するよう呼び掛けるなど、災害の被害を小さくことが、放送局の重要な使命のひとつに位置付けている。この仕組みを参考に、アジアのそれぞれの国に適した防災システムの構築されることを目指している。
国連のアナン前事務総長は、「インド洋沿岸を津波が襲った時、もし早期警戒システムがあったならば、数千、数万という命を救うことができたであろう。あの大災害は、自然災害の人的・物的被害から逃れるため、また減災のために早期警戒が果たせる役割を各国政府などに知らしめる目覚ましコールとなった」と国連の報告書に記した。その目覚ましコールから8年、アジアの国々で防災体制の整備はどこまで進み、その中で放送局は津波防災にどんな役割を果たせるようになったのか。現実に災害が起きた時、放送局が防災・減災システムの一員として機能する能力はどこまで高まったのか。
本シンポジウムは、インドネシア、タイ、スリランカの三か国について、インド洋大津波を契機に提起された津波防災体制の構築と放送局の役割は、どのような現状にあるのか。またアジア太平洋放送連合(ABU)を中心にアジアの放送局間でどんな協力がすすめられているのか。アジアの放送研究者の現地からの報告をもとに討議を進め、アジアの途上国の津波防災と国際協力のあり方および将来にむけての課題を、東日本大震災の経験も踏まえて、放送の立場から考察するものである。
田中 孝宜
NHK放送文化研究所 主任研究員
上智大学外国語学部英語学科
英国リーズ大学 国際社会文化研究修士
名古屋大学大学院 国際開発学博士
1988年、日本放送協会入局。2011年より現職。
主な研究テーマは、災害報道、国際協力、公共放送の世界的潮流など。